死んでからのことを、死んでから考えてはいけない | 死ぬまでに必ず知っておくべきこと - JESUS

「天国や地獄が存在するか、自分がどっちに行くかなんて死んでからじゃないと分からないから考えるだけムダ。」

 

 

「その時になって考えればいい。」

 

 

 

こう言った意見をとてもよく聞きます。

 

 

しかし実際、キリスト教だけに限らず、様々な宗教を調べて見ると、

 

 

仏教: 

 

天国という概念はない(代わりに極楽浄土があるが、行ける人は少ない)。地獄は存在する。自分がどこに行くかは生前の行いによって決まる。虫・動物を殺すことも罪とされ、地獄行き。詳細は宗派によって異なる。

 

 

輪廻転生:

 

元々はインドのヒンドゥー教前身・バラモン教から始まった思想。その後釈迦によって少し変更される。

人間は、生前の行いに基づいて以下の世界に生まれ変わる。

 

  • 想像を絶する地獄界
  • 飢えによって苦しみを味わう餓鬼界
  • 弱肉強食の犬や猫などと同じ畜生界
  • 争いだらけの修羅界
  • 私たちが暮らす人間界
  • 人間よりも優れた人が行ける天上界

 

そして、この6つの世界の上にあり、限られた人だけが行けるのが、極楽浄土。

 

 

 

イスラム教:

 

天国と地獄は存在する。そのどちらに行くかは、死後にアッラーによって生前の行いを天秤にかけられ、善が悪より多い人だけが天国へ行くことができる。

 

ただし、生前に天国行きを確実にする方法が一つだけあり、それは、不信仰者(特にユダヤ人とクリスチャン)を殺すこと。(懺悔章9:29、懺悔章9:111参照)

 

 

 

キリスト教:

 

死後には永遠に続く天国と地獄しかない。

 

  • イエスが神であること
  • イエス・キリストが全人類の罪を償う為に十字架にかかったこと
  • その死から復活することによって死を克服したこと

 

これらを心から信じ、全ての罪を悔い改める人だけが天国へ行ける。

それ以外の人は地獄で永遠に苦しむ。

 

 

 

 

 

このように、世界三大宗教のどれも、天国や地獄の存在の有無、そして誰が天国に行き、地獄に行くか、明確に示しています。

 

 

 

多くの人が言うように、キリスト教以外は、確かに死後自分がどこに行くかはその時までわかりませんが、虫を含めて生き物を殺す人、嘘をつく人、どんな小さなものでも盗みを犯す人、酒に溺れる人、快楽に生きる人にはまず天国や極楽浄土の可能性がないことは確かです。

 

 

 

そう考えると、実は自分が死後どこに行くかは、生きている間にほぼはっきりしていることが分かります。

 

 

 

仏教や輪廻転生の考えでは、極楽浄土はもちろんのこと、比較的マシだとされている天界や人間界に行ける人は限られているそうです。つまり、ほとんどの人が死後も苦しみ続けるということです。

 

 

 

イスラム教徒に至っては、日本では当たり前なグラビアやキャバクラ、婚前性交渉などの性的なもの、そして、神社などで石像に拝む偶像崇拝などは深刻な罪なので、これらを行う人が天国に行ける確率は遥かに低いです。

 

 

 

キリスト教では、仏教徒、イスラム教と違い、生前の行いによって天国か地獄が決まるわけではありません。

 

 

 

裁きの基準は、

 

 

生前に自分は神の前に罪人だと認め、イエスを救い主として受け入れたか、

 

 

です。

 

 

これだけです。

 

 

なぜなら、イエス・キリストへの信仰以外に天国への道はないからです。

 

 

 

 

「正しい者はいない。一人もいない。 悟る者もなく、 神を探し求める者もいない。 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。 善を行う者はいない。 ただの一人もいない。」(ローマ 3:10-12)

 

 

 

 

とあるように、罪のない人間など一人もいないからです。

 

 

 

 

だから、全人類の全ての罪を、罪のないイエスが背負い、償ったのです。

 

 

 

誰でもそのことを信じてイエスに来る人が救われるためです。

 

 

 

聖書にこうあります。

 

 

 

口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」(‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭10:9-10‬‬)

 

 

 

 

 

私たちは、行いによってではなく、信じることで天国に行けるのです。

 

 

 

 

「死後のことは死んでから考える」

 

 

 

そう言った人に対し、ある牧師がこう言っていました。

 

 

 

「それは、パラシュートが必要かどうか、飛行機から飛び降りてから考えるのと一緒だ。」

 

 

 

飛行機を飛び降りる時、「飛び降りた後のことは、飛び降りてから考える」と言う人はいません。必ず無事に着地する為には何が必要かを考え、安全を確認してから飛び降ります。

 

 

死後のことを考えるのも同じことです。

 

 

 

 

私たちには、真実を追求する能力があります。

永遠に過ごすことになる死後のことを、死んでから考えるというのはあまりにも危険なことです。

 

 

死後に後悔しても、もう手遅れです。

 

 

誰にも明日は保証されていません。

 

 

 

今すぐイエス・キリストを信じてくださいとは言いません。(もちろん最終的にはそう願っていますが)

 

 

 

ただ、死後のことを、生きている間にしっかり考えてみてください。

 

 

 

全ての人が、自分の行いに頼ることなく、ただ信じることを選び、イエス・キリストにある天国での永遠の命を与えられますように...

 

 

 

アーメン✝️

 

 

 

 

 

 

聖書アプリ(無料)⬇︎

 

 

 

Heavenly Father, I pray that You would speak to everyone in a way thay only You can. Stir their hearts and draw them closer to You. Lead them to repentance and truth, so they may have life in Jesus Christ.. In Jesus name,, AMEN.