神の為ならダサいと思われても構わない | 死ぬまでに必ず知っておくべきこと - JESUS

聖書に出てくるダビデは、神の御心に適う者とされ、神の民であるイスラエル人を統治する王として神から選ばれました。

 

 

ダビデは、王になる前は当時の王であったサウルに嫉妬され、命を狙われて逃げ回る生活を強いられますが、神はどんな時もダビデと共にいたので、ダビデのすることはことごとく上手く行きました。

 

 

そんなダビデはイスラエルの王になってから、別の町に置かれていた、「天地の主なる神の契約の箱」とされる聖なる主の箱を、自分の町(ダビデの町)に持ち帰ろうとします。(‭‭サムエル記Ⅱ‬ ‭6:1-2‬‬)

 

 

 

この主の箱は、間違った方法で運ぶと神の怒りを買い、間違いを犯した人は神によって命を絶たれるほどだったので、慎重に運ぶ必要がありました。

 

 

実際、ダビデに従う兵士の一人・ウザという人は、この主の箱を運んでいる途中、牛がよろめいたので、主の箱の方に手を伸ばして箱を押さえたところ、神は怒りを発し、ウザは命を落としています。

 

 

 

そんな主の箱をようやく自分の町に運びこんだダビデは、その喜びを大いに表します。

 

 

その時のダビデの様子について、聖書にはこう書かれています。

 

 

 

「主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。 主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。 ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。」(‭‭サムエル記 Ⅱ 6:13-15‬‬)

 

 

 

「人々が主の箱を運び入れ、ダビデの張った天幕の中に安置すると、ダビデは主の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた。 焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ終わると、ダビデは万軍の主の御名によって民を祝福し、 兵士全員、イスラエルの群衆のすべてに、男にも女にも、輪形のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を一つずつ分け与えた。」(‭‭サムエル記 Ⅱ 6:17-19‬‬)

 

 

 

 

神を心から愛し、どんな時も神の喜ぶことを第一に行なってきたダビデにとって、この主の箱がようやく自分の町に置かれることは、この上ない喜びでした。

 

 

 

しかしこれを窓から見下ろしていたダビデの妻・ミカル(サウルの娘)は、踊り狂うダビデに対し蔑みの心を抱きます。つまり、ダサいと思ったのです。

 

 

そんなミカルは、ダビデを出迎えてこう言います。

 

 

「今日イスラエルの王はなんと威厳のあったことでしょう。いたずら者が恥も知らず、その身を現すように、きょう家来たちのはしためらの前に自分の身を現されました」。(‭‭サムエル記 Ⅱ 6:20‬‬)

 

 

 

言い換えれば、

 

 

「イスラエルの王のくせに見っともない。王としての威厳もない。恥ずかしい。」

 

 

と、ダビデを馬鹿にしたのです。

 

 

 

そんなミカルに、ダビデはこう答えます。

 

 

「私は、おまえの父やその一族にまさって、神の民イスラエルの指導者として選んでいただいた主の前で踊ったのだ。その主の前で喜びを表すためなら、たとえ気がおかしくなったと言われてもかまわない。 いや、もっと愚か者のように思われてもよい。」(‭‭サムエル記Ⅱ‬ ‭6:21-22‬‬)

 

 

 

 

 

神の目に正しく生きようとしていたダビデに、神はこう約束します。

 

 

 

「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」(‭‭サムエル記 Ⅱ7:16‬‬)

 

 

 

この神の約束に対し、ダビデは

 

 

 

「主なる神よ。私のように取るに足りない者に、どうしてこれほどまでの祝福を下さったのですか。 そして今、これまでの祝福に加えて、私の王朝が永遠に続くと約束してくださいました。主の寛大さは、人間の標準をはるかに超えています。 このうえ、何を申し上げることができましょう。」(‭‭サムエル記Ⅱ‬ ‭7:18-21‬‬)

 

 

 

と、謙虚な姿勢で心からの感謝の祈りを神に捧げます。

 

 

 

ダビデは、自分が王となれたのも、物事が上手く行くことも、全て神のお陰であることを一度も忘れませんでした。

 

 

そして、いち羊飼いに過ぎず、大家族の末っ子にも関わらず自分が神に選ばれたのは、自分が特別な人間だからでも、優れた人間だからでもなく、ただ神の寛大さによるのだと知っていました。

 

 

 

そんな神に感謝を捧げ、愛を示すためなら、例えそれが周囲には滑稽だったり、気が狂った人のように見えても、ダビデにはどうでもいいことだったのです。

 

 

 

私たちは、周りの人に変な人だと思われたくない、ダサいと思われたくないと、喜びや悲しみなどの感情を押し殺すことがあります。

 

 

あるいは、自分の本当の感情を表現するよりも、周りの人に受け入れられたい、気に入られたいという思いが強くなり、素直になれない時もあります。

 

 

 

クリスチャンであれば、命を犠牲にしてまで自分を救ってくれたイエス・キリストへの愛を全身全霊で表現したい、この喜びをもっと周りの人と分かち合いと願っていても、

 

 

「カルトっぽい」

「信仰なんてダサい。」

 

 

 

と思われるのが嫌で、イエスの名前さえ口にしにくい、ということが残念ながらあります。

 

 

 

しかしダビデはこう言います。

 

 

「主に感謝しなさい。 主は恵み深く、愛と思いやりにあふれたお方なのです。 主のおかげで自由の身となれた人は、 大声でそう人に伝えなさい。 主に敵の手から救い出してもらったことを、 ほかの人に知らせなさい。」(‭‭詩篇‬ ‭107:1-2‬‬)

 

 

 

 

私自身を含め、神の愛と憐みと、イエスの血と死によって地獄行きから救われて永遠の命が与えられた皆様に、声を大にしてイエスへの愛を表現できる勇気と大胆さが与えられますように....

 

 

アーメン✝️

 

 

 

 

 

心の底から祈りましょう⬇︎

 

 

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https://www.bible.com/ja/bible/83/2SA.6.JCB

 

 

Father in heaven, I pray that You would give us boldness to proclaim the Gospel of peace brought by Your Son, Jesus Christ. Help us live our lives to please You, not men. Change us from inside out.. Fill us with Your Holy Spirit.. In Jesus name.. AMEN.