そもそもなぜ血にこだわるのか | 死ぬまでに必ず知っておくべきこと - JESUS

神の言葉である聖書を読むと、に関することがとても多く書かれています。

 

 

神によってエジプトでの約400年の奴隷生活から解放されたユダヤ人は、約束の地(イスラエル)に向かう為に荒野を旅しますが、その間神は彼らの神として共にいることを約束し、リーダーのモーセに神が住む神聖な場所、幕屋の建設を命じます。

 

 

そしてこの幕屋の完成後、神はモーセを通して、贖罪の献げ物、和解の献げ物などを神へ献げる律法を人々に与えました。

 

 

ここでいう献げ物とは、牛や羊などの家畜、鳩、小麦粉などの穀物でした。

 

 

この献げ物に関し、聖書にはこうあります。

 

 

「献げ物を和解の献げ物とするときは、牛であれば、雄であれ雌であれ、無傷の牛を主にささげる。 奉納者が献げ物とする牛の頭に手を置き、臨在の幕屋の入り口で屠ると、アロンの子らである祭司たちはを祭壇の四つの側面に注ぎかける。」(‭‭レビ記‬ ‭3:1-2‬‬)

 

 

 

「油注がれた祭司が罪を犯したために、責めが民に及んだ場合には、自分の犯した罪のために、贖罪の献げ物として無傷の若い雄牛を主にささげる。 まず牛を臨在の幕屋の入り口に引いて行き、主の御前に立ち、その頭に手を置き、主の御前で牛を屠る。 油注がれた祭司は牛のを取って臨在の幕屋に携えて入り、 指をに浸して、聖なる垂れ幕の前で主の御前に七度を振りまく。」(‭‭レビ記‬ ‭4:3-6‬‬)

 

 

 

「貧しくて羊や山羊に手が届かない場合、犯した罪の代償として二羽の山鳩または二羽の家鳩、すなわち一羽を贖罪の献げ物として、もう一羽を焼き尽くす献げ物として、主にささげる。 彼がそれを祭司のもとに携えて行くと、祭司は初めに贖罪の献げ物の鳩を祭壇にささげる。まずその首をひねり、胴から離さずにおく。 次に、贖罪の献げ物のを祭壇の側面に振りまき、残りのを祭壇の基に絞り出す。これが贖罪の献げ物である。」(レビ記‬ ‭5:7-9‬)

 

 

 

読むたびに理解するのに苦労しますが、とにかく血だくさんです。

 

 

 

この献げ物の儀式は、イスラエルの人が罪を犯す度、あるいは生理や出産、皮膚病や漏出などで汚(けが)れた時に自分を清める為に、日常的に行われました。

 

 

その度に、動物の血が流されました。

 

 

当時エジプトを脱出したユダヤ人は、成年男性だけでも60万人いたと聖書にはあります(出エジプト記 12:37)。これに未成年の男性、女性と子供を加えた数の人数が、毎日のように動物を献げ物としたとなると、相当数の動物が殺されていた計算になります。

 

 

動物好きの私としては、なんとも胸が痛くなります。

 

 

では神はなぜ、それほどまでにを要求するのでしょう?

 

 

それは、

 

 

「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」(‭‭ヘブライ 9:22‬‬)

 

 

からです。

 

 

また神はイスラエル人に対し、血を飲んではいけないと命じますが、その理由として、

 

 

「血はいのちそのものであり、罪を償い、たましいを救う代償として祭壇に振りかけるものだからだ。」(‭‭レビ記‬ ‭17:11‬‬)

 

 

と、血は罪を償うものである、と言っています。

 

 

 

神は完璧であり、完全に聖なるものです。

その聖なる神が罪深い人間と共にいる為には、ユダヤ人は動物の血で自らの罪を清めることによって神に許され、神の前に正しくされる必要がありました。その動物が傷や汚れのない、完璧なものである必要があったのもその為です。

 

 

 

神であるイエス・キリストは、まさにこの完璧な羊として自らの血を流し、命を天の父に捧げる為にこの世にやってきました。

 

 

聖書にはこうあります。

 

 

「ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」(‭‭ヨハネ 1:29‬‬)

 

 

 

「人の子(イエス・キリスト)は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ‬ ‭10:45‬‬)

 

 

 

 

ユダヤ人が神に献げる動物が無傷であったように、イエスは人間としてこの世にいる間、一つも罪を犯しませんでした。罪深い人間が血を流しても、神からの赦しは与えられません。汚れた血で罪を洗い流すことはできないからです。

 

 

だから、イエスがその罪のない、清い血を流す必要があったのです。

 

 

 

 

このイエスの十字架上での血によって、

 

 

「それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」(ローマ ‬ ‭5:9‬‬)

 

 

とあるように、イエスを神として受け入れた人は神の前に正しくされ、神から許されるのです。

 

 

 

イエスが自らを天の父に献げたことにより、それまで行われていた動物の血を流すという儀式はその必要性がなくなりました。

 

 

聖書にはこうあります。

 

 

「すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。 しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、 その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。」(ヘブライ‬ ‭10:11-13‬‬)

 

 

 

「罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。」(ヘブライ‬ ‭10:18‬‬)

 

 

 

 

動物の血は罪を一時的に清めるだけだったので、罪を犯す度に血を流す必要がありましたが、イエス・キリストという完璧で聖なる神の血は、全人類の罪を永遠に洗い流すほどに清く、尊いのです。

 

 

 

その証拠に、イエスは十字架上で息絶える前、

 

 

「成し遂げられた」(‭‭ヨハネ 19:30‬‬)

 

 

と言っています。

 

 

そして、イエスが息絶えた直後、それまでは限られた祭司のみが年に一回、贖いの為に入ることを許された神殿の幕が真ん中から裂けました。(ルカ 23:44)

 

 

 

これは、今まで祭司が行っていた儀式(動物の献げ物)同様に、祭司を通してのみ神との接触を許される、という律法の終わりを意味し、

 

 

「わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。 更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。」(‭‭ヘブライ 10:19-22‬‬)

 

 

 

とあるように、イエスを信じ、イエスの血によって全ての罪を許された人は堂々と神の前に立つことができるようになりました。

 

 

 

神であるイエス・キリストは使徒たちにこう言います。

 

 

「はっきり言っておく。人の子(イエス・キリスト)の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(ヨハネ ‬ ‭6:53-54‬‬)

 

 

「皆、この杯から飲みなさい。 これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(‭‭マタイ 26:27-28‬‬)

 

 

 

これは、イエスを神として受け入れ、信仰からくる苦しみや試練も含め、イエスの為に生きる人こそ神から許され、永遠の命を与えられる、という意味です。

 

 

教会でよく見る、ワインを飲み、パンを食べるという儀式(聖餐)はここから来ています。

 

 

 

だから、クリスチャンにとって、血、特にイエス・キリストの血はとても重要な意味をもちます。

 

 

イエスの血なしには、神からの許しはなく、地獄行きは避けられなかったからです。

 

 

 

「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。 彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(‭‭イザヤ書‬ ‭53:5‬‬)

 

 

 

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」(‭‭コリント Ⅱ ‭5:21‬‬)

 

 

 

 

と聖書にあるように、イエスは私たちが受けるべき神からの罰を代わりに受けてくれ、イエスが苦しんだことによって私たちは永遠の苦しみから逃れることができ、イエスの血によって私たちの罪は全て洗い流されました。

 

 

 

イエスが求めることは、ここまでしてくれたイエスが私たちを救うことができる唯一の神、救世主であると信じ、今までの罪を悔い改めて神に立ち返ることです。

 

 

 

キリストの血は、永遠に有効です。

そして、その血はどんな罪であれ洗い流すことができます。

 

 

どうかより多くの人が神の前に堂々と立てるよう、イエス・キリストを神として受け入れますように...

 

 

アーメン✝️🙏

 

 

 

 

 

 

 

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Heavenly Father, hollowed be Your name, Your Kingdome come, Your will be done. Thank you for giving Your Son, Jesus Christ, as a spotless Lamb. Thank you for His blood that purifies us. I pray that You would open the eyes of people who don't know You so they can see the Truth and find true life. May Your name be honored forever and ever.. In Jesus name.. AMEN.