神の言葉である聖書に、不倫が見つかった女性の話があります。
当時、神が与えたモーセの十戒により、婚外性交渉は死刑に値する程大きな罪とされていました。
この女性をイエスのところに連れてきた、宗教的権力者であるユダヤ人指導者やパリサイ人たちは、イエスにこう尋ねます。
「先生。この女を見て下さい。不倫の現場で捕まったのです。モーセの律法では、こういう不届き者は石で打ち殺すことになっていますが、どうしたものでしょう。」(ヨハネ 8:4-5)
彼らは一見、律法に従って、罪を犯した人を厳しく罰する正義感の強い人たちのようですが、本当の魂胆は正義感とはかけ離れたものでした。
聖書にこうあります。
「(彼らが)こう言ったのは、何かイエスの言葉じりを捉えて、訴えてやろうという魂胆があったからです。」(ヨハネ 8:6)
イエスが伝道を始めてから、それまで宗教的リーダーとして律法ばかりにこだわって偉そうに振舞っていた彼らにとって、「あなたたちは盲目だ」「矛盾している偽善者だ」と説教するイエスは、邪魔者でも何でもなかったのです。
その証拠に、彼らはこの女性の不倫相手である男性は連れて来ませんでした。
律法では、
「人妻と姦淫を犯せば、男も女も共に死刑に処される」(レビ記 20:10)
とあります。
律法に従えと厳しく教える彼ら自身が、それを守っていないという矛盾が伺えます。
一方イエスはこのやり取りの間、体をかがめ、指で地面に何か書くだけでした。(何を書いていたのかは、聖書には書かれていません。)」(ヨハネ 8:6)
あまりにも宗教指導者たちが質問をやめないので、イエスは体を起こし、こう言います。
「分かりました。この女を石で打ち殺しなさい。但し、最初に石を投げるのは、今まで一度も罪を犯したことのない者ですよ。」(ヨハネ 8:7)
そしてまた地面に何か書き始めました。
これを聞いた指導者やパリサイ人たちは、バツが悪そうに年長者から順に一人また一人と去っていきました。
もちろん、みんな罪を犯したことがあったからです。
彼らが去ったあと、イエスはこの女性にこう尋ねます。
「あなたを訴えた人たちはどこにいますか。罰する者は一人もいなかったのですか。」(ヨハネ 8:10)
「はい」と答えた女性に対し、イエスはさらにこう言います。
「そうですか。私もあなたを罰しません。さあ、行きなさい。もう二度と罪を犯してはいけませんよ。」(ヨハネ 8:11)
この話から私たちは学ぶべきことは、私たちは時にこの宗教的指導者やパリサイ人のように、
自分の罪は棚に上げ、人の罪を責めることがある
ということです。
私たちはよく人の粗探しをし、他の人の罪や過ちを厳しく非難することがあります。
クリスチャン同士でさえ、
「あの人は神の教えである『隣人を愛しなさい』ということが全く出来ていない。クリスチャンとしていかがなものか。」
などと非難し合うことがあります。
自分だってその人のことを愛せていないのに、その人のことを責める。
私自身、これをよくやります💧
まさにこの宗教指導者やパリサイ人と一緒です。
この話からもう一つ学ぶべきことは、法的裁きは別として、
私たちには人を裁く権利はない
ということです。
裁きは唯一絶対公平な神がすることだからです。
イエスはこう言います。
「あなた方は全然分かっていません。人間の基準で私を裁いているからです。私は誰のことも裁きません。しかし、もし私があなた方を裁いたとしても、その裁きはどこから見ても正しいのです。私をお遣わしになった父が一緒に裁いて下さるからです。」(ヨハネ 8:14-16)
イエスですら、裁きを天にいる父である神に任せているのに、そのイエスを差し置いてまで人を裁こうとする私たちは一体何者でしょう?
イエスは私たちに「神を愛し、隣人を愛し、福音を広めさない」と言います。
「間違った人を見つけ、裁きなさい」とは言いません。
それは私たちに与えられた役割ではないからです。
イエスは、罪は憎みますが罪人を愛します。不倫だろうと殺人だろうと、罪を犯した人を変わらぬ愛で包み込み、悔い改めればすぐに許してくれます。
罪人を露骨に毛嫌いしたり、非難する私たち人間とは違います。
イエスはこうも言います。
「自分の目に大きなごみを入れたままで、どうして人の目にある、小さなちりを気にするのですか。大きなごみが目をふさいで、自分がよく見えないというのに、どうして、「目にごみが入っている。取ってあげよう」などと言うのですか。偽善者よ。まず自分の目から大きなごみを取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、人を助けることができます。」(マタイ 7:3-5)
例え小さな嘘であれ、殺人であれ、「罪は罪。重さは変わらない」とする神の前にあって、人を非難する前に、そして、人のことをどうこう言う前に、まずは自分を見直さなければと考えさせられる今日のお話でした。
心の底から祈りましょう⬇︎
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https://www.bible.com/ja/bible/1819/MAT.7.新共同訳
Father in heaven, I pray that this message would condemn our hearts that tend to blame others. I pray that we’d be more humble and be loving toward one another. Let us not forget what You have done on the cross for us. You love us and forgive us even though we’re such terrible sinners. I pray that You’d continue to work on us so we can be like You.. In Your precious name I pray... AMEN.

