世の中にはいろんな人がいるように、クリスチャンにもいろんな人がいます。
聖霊の声が聞こえる人、夢で神に語られた事が実現する人、奇跡を目撃する人、祈りがすぐに応えられる人もいれば、特に大きな奇跡を経験しない人もいます。
この間教会で話したおばあさんは、常に聖霊に話しかけられ、祈ると病も治ることから、周りの人によく祈ってください、と頼まれると言っていました。
こう言った話を聞くと、「すごいなあ」と思う反面、なんだか不安にもなります。
「私が聖霊の声がはっきり聞こえないのは、信仰が浅いのかな?」と思ってしまうからです。
もちろん、聖霊が内に住み、導いてくれていることに疑いはありません。
神はちゃんと私の祈りに耳を傾けていることも分かります。
でも、どうして私には、いわゆる超自然的な奇跡が起こらないんだろう...と、他の人と比較してしまう事があります。
そんな時に思い出すようにしているのが、イエスのこの言葉です。
「見なくても信じる者は幸いです。」(ヨハネ 20:29)
イエスは、イエスが神であることを証明する為に、奇跡ばかり求める人々にこうもいいます。
「私がもっと多くの奇跡を行わなければ、信じようとしないのですか。」(ヨハネ4:48)
「邪悪な不信の時代の人々は、証拠を要求するのです。」(マタイ12:39)
もちろん、神はいとも簡単に奇跡を起こせます。
実際イエスは、数々の奇跡を起こし、自分が神の子であることを証明しました。
そのことによって多くの人がイエスを信じました。
神は、私に十分奇跡を見せてくれました。
私をこの世に誕生させてくれ、神の子として生まれ変わらせてくれました。
信じない私を信じる人に変え、愛を知らなかった私に、本当の愛を教えてくれました。
地獄行きだった私を救ってくれ、永遠の命を与えてくれました。
信仰の強さは、奇跡体験の多さで測るものではないこと。
「わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。」(コリント Ⅱ 5:7)
とあるように、見えないものを信じることこそが信仰であること。
「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。」(ペテロ Ⅰ 1:8-9)
とあるように、奇跡を経験しなくても、目に見えなくても信じることこそ、真の信仰であること。
不安になったら、自分に言い聞かせようと思います。
心の底から祈りましょう⬇︎
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https://www.bible.com/ja/bible/1819/HEB.11.新共同訳
Father in heaven, I pray that this message will help people know that all You ask for is a faith of a mustard seed, and that You have done such a greatest miracle when You rose Your Son, Jesus Christ, from the grave. Help me stay faithful and strong when I feel discouraged. Please save those who read this... in Jesus name I pray... AMEN.

