死ぬまでに必ず知っておくべきこと - JESUS
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クリスチャンになるということ。

 

 

それは、

 

 

  • 自分が神の前に罪人であることを認める
  • イエス・キリストがその罪を償うために十字架にかかったことを信じる
  • イエス・キリストが死を克服した神であることを信じる
 
 
これらを告白すること言います。
 
 
 
いたってシンプルで、たったそれだけで天国に行けるのですが、なぜかクリスチャンになりたいと思う人は残念ながらそう多くはありません。
 
 
 
その理由のほとんどは、
 
 
 
「自分が罪人であるとは思えない。」
 
 
 
ということから来ます。
 
 
 
 
人を殺したわけでも、何かを盗んだわけでもないのに、そういった悪人と同じように罪人扱いされるなんて、納得できないのです。
 
 
 
 
特に日本人は、その勤勉さや真面目さで知られており、災害時などに住人が辛抱強くちゃんと列をなして給水や食料配分を待っている姿は、よく世界の人々に感心されます。
 
 
今でこそ風潮は変わってきていますが、朝早くから出勤し、定時が来てもすぐに帰らずサービス残業、挙句に上司の飲み会に付き合って帰宅するのは日付が変わる頃、という人も多いです。私の父親もそうでした。
 
 
 
以前見たある動画では、財布を落として中身が散らばった人に対し、通りがかった人々が何も盗むことなく、拾うのを手伝っている姿が映し出されていました。
 
 
 
だから、多くの日本人にとって、「自分は罪人である」ということは認め難いことなのです。
 
 
 
 
しかし、天国そして地獄を創造し、全ての人を裁く神は、心の奥底までを見る神です。
 
 
 
 

「神のことばは生きていて、力があります。それは鋭い刃のように切れ味がよく、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望にまでメスを入れ、私たちの赤裸々な姿をさらけ出します。 神は、人がどこにいようと、すべての人の心を見抜かれるお方です。神に造られたもので、神の目から隠れおおせるものは一つもありません。今も生きて、すべてを見抜かれる神の前に、私たちは裸のままさらけ出されているのです。私たちはこの方に対して、自分のなしたすべてのことを弁明しなければなりません。」(‭‭へブル人への手紙‬ ‭4‬:‭12‬-‭13‬‬)

 

 

 

 

つまり、神は私たちが心に秘めた思いでさえ見通し、それらの思いも裁きの対象になるのです。

 

 

 

誰かを憎み、心の中で「あんな奴死んでしまえばいい」という気持ち。

 

 

誰かを思い浮かべながら、卑猥な妄想を膨らませること。

 

 

自分の両親の存在をうざいと思うこと。

 

 

他人の持ち物や人生を羨み、嫉妬すること。

 

 

 

これらは全て、実際には行動に移していなくても、既に心の中で犯している罪です。

 

 

地獄行きに値する罪です。

 

 

 

神は完全に聖なる存在であり、こういった汚れた思いは神と共存できないからです。

 

 

 

 

聖書では、人間の心の汚れについて、以下のように書かれています。

 

 

 

「人の心は何より欺きやすく、芯まで腐っている。 それがどんなに悪質であるか、 だれにもわからない。 ただわたしだけが人の心を知っていて、 隅々まで探り、 一番奥に隠された動機までわかる。」‭(エレミヤ書‬ ‭17‬:‭9‬-‭10‬‬)

 

 

 

 

口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。 これが人を汚す。」(‭‭マタイによる福音書‬ ‭15‬:‭17‬-‭20‬‬)

 

 

 

 

 

神は、ノアとその家族計8人を除いて、全人類を一度滅亡させていますが、その理由について、以下のように書かれています。

 

 

 

「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。 主は言われた。 『わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。』」(‭‭創世記‬ ‭6‬:‭5‬-‭8‬‬)

 

 

 

 

つまり神には、人間の実際の行動だけでなく、心の中で企んでいた全ての悪もお見通しだったのです。

 

 

 

私は今までに、心の中で一体何人の人を殺したか数え切れません。

 

結婚している今はないですが、昔は卑猥なことも考えました。

 

今だに他人の生活や人生を妬んだりします。

 

 

 

今日だって、愛し合うべきクリスチャン姉妹に怒りを覚え、心の中で殺してしまいました。

 

 

 

 

それでも私が天国へ行けるのは、イエス・キリストが私の罪を償ってくれたと信じるからです。

 

 

 

イエス・キリストだけが私を救ってくれた神だと信じるからです。

 

 

 

 

 

私は子供と触れ合うことが多いですが、無邪気な子供でさえ、平気で嘘をつき、おもちゃをポケットに入れて盗んだりします。

 

 

 

もうそれは立派な罪です。

 

 

 

 

 「正しい者はいない。一人もいない。」(‭‭ローマの信徒への手紙‬ ‭3‬:‭10‬‬)

 

 

 

 

本当にその通りなのです。

 

 

 

だから、私たちには唯一正しく、全ての罪を償ってくれたイエス・キリストが必要なのです。

 

 

 

 

「自分は真面目に一生懸命生きているから」

 

 

 

そう思っている人こそ、一度自分の心の中をじっくり探ってみて欲しいです。

 

 

 

 

あなたの心は、本当に清く美しいですか??

 

 

 

 

 

「水が顔を映すように、心は人を映す。」(‭‭箴言‬ ‭27‬:‭19‬‬)

 

 

 

 

アーメン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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