クリスチャンになるということ。
それは、
- 自分が神の前に罪人であることを認める
- イエス・キリストがその罪を償うために十字架にかかったことを信じる
- イエス・キリストが死を克服した神であることを信じる
「神のことばは生きていて、力があります。それは鋭い刃のように切れ味がよく、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望にまでメスを入れ、私たちの赤裸々な姿をさらけ出します。 神は、人がどこにいようと、すべての人の心を見抜かれるお方です。神に造られたもので、神の目から隠れおおせるものは一つもありません。今も生きて、すべてを見抜かれる神の前に、私たちは裸のままさらけ出されているのです。私たちはこの方に対して、自分のなしたすべてのことを弁明しなければなりません。」(へブル人への手紙 4:12-13)
つまり、神は私たちが心に秘めた思いでさえ見通し、それらの思いも裁きの対象になるのです。
誰かを憎み、心の中で「あんな奴死んでしまえばいい」という気持ち。
誰かを思い浮かべながら、卑猥な妄想を膨らませること。
自分の両親の存在をうざいと思うこと。
他人の持ち物や人生を羨み、嫉妬すること。
これらは全て、実際には行動に移していなくても、既に心の中で犯している罪です。
地獄行きに値する罪です。
神は完全に聖なる存在であり、こういった汚れた思いは神と共存できないからです。
聖書では、人間の心の汚れについて、以下のように書かれています。
「人の心は何より欺きやすく、芯まで腐っている。 それがどんなに悪質であるか、 だれにもわからない。 ただわたしだけが人の心を知っていて、 隅々まで探り、 一番奥に隠された動機までわかる。」(エレミヤ書 17:9-10)
「口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。 これが人を汚す。」(マタイによる福音書 15:17-20)
神は、ノアとその家族計8人を除いて、全人類を一度滅亡させていますが、その理由について、以下のように書かれています。
「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、 地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。 主は言われた。 『わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。』」(創世記 6:5-8)
つまり神には、人間の実際の行動だけでなく、心の中で企んでいた全ての悪もお見通しだったのです。
私は今までに、心の中で一体何人の人を殺したか数え切れません。
結婚している今はないですが、昔は卑猥なことも考えました。
今だに他人の生活や人生を妬んだりします。
今日だって、愛し合うべきクリスチャン姉妹に怒りを覚え、心の中で殺してしまいました。
それでも私が天国へ行けるのは、イエス・キリストが私の罪を償ってくれたと信じるからです。
イエス・キリストだけが私を救ってくれた神だと信じるからです。
私は子供と触れ合うことが多いですが、無邪気な子供でさえ、平気で嘘をつき、おもちゃをポケットに入れて盗んだりします。
もうそれは立派な罪です。
「正しい者はいない。一人もいない。」(ローマの信徒への手紙 3:10)
本当にその通りなのです。
だから、私たちには唯一正しく、全ての罪を償ってくれたイエス・キリストが必要なのです。
「自分は真面目に一生懸命生きているから」
そう思っている人こそ、一度自分の心の中をじっくり探ってみて欲しいです。
あなたの心は、本当に清く美しいですか??
「水が顔を映すように、心は人を映す。」(箴言 27:19)


