イマドコ?いまここ。

昨年、NHKにてダイジェスト版?が放送され、モデルとされる人物の関係者が抗議をしたことは承知している。
その抗議は今回の劇場作品公開に際しても続いているようだ。

その経緯を詳しく知らないのであまり適当なことは言えないけれども、今回この作品をフラットな気持ちで観た印象としては、件の陸軍の軍人(劇中の板倉少将)の描き方に悪意は感じなかったし、その人物像も悪辣なものではなかった。
確かに、召集令状を盾に言論封殺めいたこと言う場面があるが、その発想自体は当時あり得たものだと思うし、何よりその軍人は劇中において若き研究者たちの主張を本気では封じ込めていない(本気なら解任するなど実力行使をすればよい)うえに、むしろ若者たちの好きにやらせているのだ。黙認と言ってもいい。

この軍人に限らず、作品中に「悪人」は出てこない。
開戦派であれ避戦派であれ、陸軍であれ海軍であれ総理であれ天皇であれ、誰もが自分の立場で良しと思う道を選び、それぞれの論理で国のことを思い行動する。

ただ、一般の国民や若き研究者たちと、権力を持っている者の違いは大きい。
国を動かす力を持つ者の責任は重いのだ。
その決断が、結果的に何百万何千万もの人々の人生を大きく狂わせることになる。

それにしてもいまを生きる我々は、大日本帝国が米国との全面戦争に突っ込み破滅を迎えた史実を知っているが、昭和16年当時の国や軍の首脳たちがその時点で何ができたのか。
戦わないということは、それまでの膨張政策を店仕舞いするということだろう。そんな全面譲歩があの時点でできたのだろうか。
その時のこの国を覆っていた空気に抗い非難を恐れず、戦わない決断をできたのか。
軽々しくは断ずることができないと思うのだ。

なぜなら、当時の日本人といまの我々にそれほどの断絶はなく、よく言われるように我々はやはり、空気を読み空気に流され空気に抗うことを苦手とするような気がするからだ。
これを国民性と言っていいのかどうかは分からない。
ただ、当時のヒトラー政権下のドイツ国民も似たものであったと様々な書物などで学んできた。決して日本人の気質のみに由来する話ではないとは思う。

それはともかく、動き出したら止まらない、過度に空気を読んで敢えて波風を立てないという態度は、いまの社会状況にもじゅうぶん当てはまるだろう。
いや、社会状況なんてだいそれたことは言わずとも、自分の卑近な身の回りを考えても日常的によく見る光景だ。
自分自身だって例に漏れず、だ。

国家社稷の命運を左右するような役割を私は担うことはないけれども、自分の守備範囲で信念を貫くことができるのだろうか。
劇中の状況に照らして言うなら、兵として前線に送られることも構わずそれができるのか。
うーん。言うは易し。考えさせられるね。弱い人間なので。