2007年になってから,
まだ4回目?の更新です。
何人くらいの方が、未だに(おいおい)
このblogを見てくださってるか定かではありませんが、
みなさまご無沙汰しています。
ええと。
実は2007年になってから,
もうこの年が終わるんじゃないかというくらい
(そりゃオーバーだな)
いろんなことが起こり,
はっきり言って
てんてこまいでした。
いや,まだてんてこまい継続中。
それは仕事始めからまだ数日。
1月8日の週になって,いよいよ通勤電車も混み始めた
頃のことでした。
1月9日火曜の早朝。
うちの電話が鳴りました。
こんな時間にかけてくるのは,
私の実家の親くらいです。異常に早起きなので(田舎だから)。
と言ってももう起きなくちゃいけない時間だったから
もそもそ起きて電話に出ました。
「はい。」
「あ,じゅんちゃん。お母さんだけど。
(っていくつの娘に話してるんじゃ。って思わないでね。)
…おばあちゃん,亡くなったよ。」
「え?」
一瞬わけがわかりませんでした。
まぁ起きぬけってのもあったけど,
それにしても。
私の祖母(父方の)は,もう数年
寝たきりの状態で,病院に入っていました。
いわゆる施設だから,ちゃんと世話してくれる人もいて,
うちの親と,親戚の叔母などがかわるがわる
おばあちゃんの世話をしに行っていました。
確かに,そんな状況だったから,
変な話,いつ万一のことがあってもおかしくはなかったのですが。
ついに…
という気持ちでした。
私が結婚する前,
やはりおばあちゃんのお見舞いに行きました。
でも,その時,おばあちゃんはたぶん
理解できないくらい弱っていたと思います。
でもちゃんと報告したかったし,
報告するのが当然だと思ってました。
あれが,おばあちゃんを見た最後でした。
実家に電話するたび,
おばあちゃんの様子を親から聞いてはいたのですが,
その都度「元気だよ。」って言われていました。
元気と言ってもそれは状態が変わらないってことだったんですが,
それでも,おばあちゃんは生きていた。
結婚してから,
旦那のお義母様までもが,いつも
「おばあさまはお元気?」と心配してくれました。
そのたびに,私も「元気です。」と答えてました。
そんな状態が数年続いていました。
2007年が明けて,
年賀状も普通に出して,
一段落着いたころ,
おばあちゃんの容態は急に悪くなったそうです。
親のところに
「万一の状態を考えておいてください。」
と病院から連絡があったのは,
ちょうどうちの母の誕生日であった6日の夜でした。
何も知らなかった私と旦那は,
私の母親宛てに誕生日祝いの電報を出しました。
いつもなら,そういうことがあると
すぐ「届いたよ。」と連絡をくれる母。
でも,その返事は8日になってからでした。
仕事を終えて帰ってきたら留守電に
「電報ありがとう。」と入っていました。
その時は,ほんとに,
おばあちゃんがこんなことになるなんて
微塵も感じさせないメッセージでした。
その留守電を聞いて数時間後の翌朝,
あの電話があったのです。
私が旦那に
「おばあちゃんが亡くなったって。」
と話すと,
旦那も,心からさびしそうな顔をし,
そして私のことを心配してくれました。
自分も私の実家に行き,お葬式に参列すると
言ってくれました。
ただ,母がお葬式など一切のセレモニーは
身内(おばあちゃんの子供たち)で行うから,
私一人でいいよと言ったので,
旦那にはそうやって伝え,気持ちだけ預かりました。
9日,通常通り出勤し,
上司に祖母が亡くなったことを報告し,
忌引休暇の申請を出しました。
この寒い中,年末年始も帰らなかった青森へ
こんな形で帰らなければならなくなったことが
一層さびしさを募らせました。
仕事も,ほんとは休んでいられないくらい
あいかわらずの激務。
ただ,そんな状態の私に,
おばあちゃんがくれたつかの間の休息。
それがこのお休みだったのかもしれません。
おばあちゃんからの最期の贈り物。
そして,ほんとに。
これがつかの間の休息だということを
改めて思い知らされる試練が
この先に待っていたのでした。
私が青森入りしたのは11日の木曜日。
12日の金曜日に,朝出棺,斎場でおばあちゃんを天に返しました。
午後からお葬式。
身内だけでしたので,
参列者も少なく,おばあちゃんは
家族のみんなに見送られました。
おばあちゃんが亡くなった…
13日の土曜日。
私は東京に戻る電車に乗りました。
お土産には,同級生だったまーちゃんが店長を務める
ケーキ屋「サンドリオン」のお菓子を持って。
(ちゃんと月曜,配りました。しっかり宣伝。)
ほんとはこの日,
土日1泊で,オーケストラ・ダスビダーニャの
練習合宿に行くはずでした。
そう,あの朝の電話があるまでは。
旦那と一緒に車でアクアラインを渡って,
岩井海岸の民宿「大謙館」に行くつもりでした。
そして,合宿があるからお休みするはずだった
14日日曜の水響の練習。
こちらに翌日行ったのでした。
立川での水響の練習。
実は旦那がmixiの日記に,
私の祖母が亡くなった話を書いたそうで
ここで情報を知った何人かの方から,
お悔やみの言葉をいただきました。
ようやく,日常を取り戻しつつありました。
そして,月曜日。
久しぶりに出勤した私に,
再び,予期せぬ出来事が起こったのです。
つづく
(単に長いからです。)


