先日の合宿で
「本音トーク」をしたということを書きましたが,
なぜこんなに本音を言うのが
特別なことになっちゃうのか?とふと思いました。
というのは自分の場合で,
世の中には,本音を普通に言えちゃう人も
当然います(と思う)。
でも少なくとも,
自分にとって,「本音を言う」ということは
多少なり勇気が必要な作業のひとつです。
ですが,
小さい頃って何も考えなくて,
考える頭も持ってなくて,
本音しか言ってなかったと思います。(・_・D フムフム
いつから本音を言うのが大変になったのか。
それを検証してみると,
小学校の頃,自分はいじめられっこでした。
と言っても,今のように陰湿ないじめとは違い,
クラスの男子に変なあだ名で呼ばれたり,
まぁ多少の暴力,髪の毛ひっぱられたりしたり
するくらいのいじめでしたが。
そういう時,
泣かなかったんです。
くやしかったので。たぶん。
でも泣かないと,ますますいじめられて,
でもまた泣かなくて
の,繰り返し。
つらかったはずなんだけど,
誰に相談するでもなく,
よく学校行ってたなぁ…と
今思うと不思議現象です。
本音を言わないということとは別ものかもしれませんが,
この頃から,本心を隠すことを覚えたのかなぁ
と思います。
で,また違う出来事があって,
学校でよく作文とか,感想文とか書かされることってありましが,
実は私は,これが大の苦手でした。
小学校5年の時ですが,
「詩を書く」という授業があって,
その時,私は最近行われたなんかの式典
(学校の創設何十年とか?だったと思いますが)が,
偉い人の話が長くて,飽きてしまった。
ということをネタに書いたのです。
だって先生は,
「自分の感じたことを書きましょう。」
っていうじゃないですか。
素直に受け取ってしまった自分。
当然,
「こんなのじゃダメです。書き直しなさい!」
と怒られました。
しかも書き直しもしましたよ。
皮肉にも,どうにネタに書き直したのか,
そっちは思い出せません。
むしろ,こういう強烈な出来事があったおかげで
「飽きちゃった」詩のことは,未だに覚えているのです。
読書感想文もしかり。
あれの入選作品は,みーんな同じに見えました。
本音を言うと,
否定される。
それを隠すように言われる。
表に出していいのは,型にハマッた模範解答とか,
「多数の普通の人が言うであろう」意見。
なーんてことが積み重なったら,
本音を言うのが
損だと思ったり,
あとあと面倒くさいと思ったり…
そんな諸々の理由で,
だんだん,本音の言えない
ひねくれものの自分は形成されました。
ただ,
ほんとの自分をさらけ出す機会がないと
自分を見失いそうでつらいので,
この前みたいな「本音トーク」の機会は
救いの時間と言えるのです。