あーちゃんの。。
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歌入れ作業だったり
譜面の確認作業だったり
連絡作業だったり
ホテルの部屋で黙々とやっていたら
すぐに時間が経ってしまったわ
昨日は母方祖母の誕生日…からの〜
今日はその祖母の命日
祖母(以下:あーちゃん)は
神戸でずっと一緒に住んでいて
幼い頃は色んな話をしてくれました
なんで「あーちゃん」なのか、とか
所作やしぐさの話や
戦争のことはもちろん
それにまつわる色んな話など
いつも話題豊富だった人
やっぱり戦争の話は
今日というこの日には
テレビを見ながら必ずしてくれました。
テレビから聞こえてくる
焼夷弾が落ちてくる音を聞くのも嫌だし
落ちてくるその黒い影の長さで
近くに落ちるのか遠いのかを判断してたし
なにより戦時中に
一緒に薬科大学へ行ってた友達と
船に乗って九州へ帰る途中で
爆撃に遭って海に投げ出され
あーちゃんは奇跡的に助かったけど
その友達とはもう二度と会えなくなったり
想像を絶する体験をしているんですよね。
あーちゃんは色々と「決めて」
命を全うした人だと私は思ってます
「お母ちゃんの歳になるまでは
あの世には行かへん」
って言ってたのを覚えてるけど
曾祖母が88歳で旅立ってて
実際にあーちゃんも8/14で88歳になって
その次の日(8/15)に旅立ったし
おそらく「終戦の日」に旅立ったのも
海で離れた友達のことがずっと胸にあって
もうこんな悲しいことが
起きてほしくもないし
心の中でケジメだったり決意をした日
だったのかもしれないなぁと
私が作詞をした「長い旅路」は
あーちゃんに向けて書いた曲
歌詞にも聞いたその戦争体験のことを
少し織り交ぜてます
また良かったら歌詞を聞いてくださいね
あーちゃんはたくさんのことを教えてくれて
それが今でも私の為になってたり
薬局を営んでいるその姿を
カッコいいと思っていたし
たくさんの人のために自分が出来ることを
一生懸命取り組んでいたし
面白いエピソードいっぱい話してくれたし
もうね、尊敬&大好きが溢れます
あーちゃん、いつもありがとう