
人が寄らない通り。しかし今日は二人がそこを走り抜けていた。
「ふぅ…なんだってのよいきなり…」
息を切らしながら志穂はそう漏らす。それもそのはず、志穂は今、とある人物に追われている。勿論だがこのゲームの影響だ。
「はぁ…ここまで来たら大丈夫かしら」
願望とも言えるその一言が否定されるのには然程時間はいらなかった。志穂の耳には何かが空を切る音が聞こえた。急いで音のする方に振り向く。それと同時に眼前の何かを既の事でかわす。
「チッかわしたか…」
「ヒュ~あっぶなぁい♪まだ能力使ってないから完全にギリギリ」
「素でそれなら充分だろ……」
ナイフを持った男は苦虫を噛み潰した顔をして志穂を睨む。
「それはどーも、お褒めに与り光栄ですわ」
言い終わるかそれよりも少し前か、男はナイフを持ち志穂の元へ走る。ナイフを持った手を志穂へ降る。ソレは脇腹を突き刺した……ように見えたのだが、どうやらコレには実体が無い。その証拠に少し離れた方向から銃声が聞こえる。
「チッ…なんなんだこりゃ…」
めんどくさそうに男はぼやく。弾の方だが体勢が悪かったのか男のいる場所からやや右に逸れていた。しかし弾に気を取られていた為志穂を見失ってしまった。
「しかしまぁ…ご丁寧に残して行くねぇ…」
男の視界には一つ余分な物が含まれていた。先程の実体のない志穂だ。銃声がしてからの数秒、これは男の視界から離れることは無かった。つまりその時までは志穂は能力を解いていないという事になる。そしてこの通りは道が別れているが実は意外と行き先は限られる。男はそれを良く知っていた。
「恐らくまぁ……あそこだろう。ヘヘ、待ってな、今殺してやるさ」
複雑な通りを抜けた先にはまた複数の道と少し開けた空間が待っていた。志穂はここで息を落ち着かせる。
「はぁ、はぁ…。ありゃ駄目ね…普通に戦う事しか頭に無いわ。だとしたら、強制バトルに持ち込むのも難易度が極端に上がる」
一人ぶつぶつと先程の男に対しての考察を深める。しかし時間とはいつも待ってくれる物では無いらしい。空を切る音が後ろから聞こえる。慌ててそれをかわす。
「またかわすし…」
今度は志穂が無言で拳銃を構える。男は少し驚いた顔をしたがすぐに状況を呑み込み真顔へ戻る。
「さっきは当たる気配無かったけど…まだやるの?」
「案外ただのフェイクだったかもしれないわよ?」
男の舌打ちが大きく聞こえた。その刹那、男は志穂へ向かい急速に走ってみせた。やや反応が遅れた志穂は当たらないと察し能力を使用する。それを利用しタイミングを合わせ後ろへ走るが、志穂の腕を男は掴んでいた。
「二度同じ手は食わん。さぁ、死ね」
ナイフと共にその重々しい腕を振り下ろす。その腕が下がりきる前に志穂は男の脇腹を正面に蹴る。反動で倒れる中、志穂を掴んだ腕を大きく振り、自分が倒れる方向の地面に志穂を叩きつける。それに被さる用に倒れ込みつつ、男の腕は志穂の頭を貫く事を目的としていた。
やや余裕そうな声を漏らしながら志穂は全力で顔を横へずらした。ナイフは志穂の頭があった場所に刺さりそして折れていた。新しいナイフを男が腰から取り出す隙を突き志穂は男の股を蹴り上げる。痛みで男の姿勢が崩れたのを確認し、志穂はその場から離れ立ち上がる。そして拳銃を構えようとした。
「ぐ……くそっ…てめぇ人の股を蹴るなと習わなかったのか」
男の復帰は思っていたより遥かに速い。既に男はもう一度攻撃をする構えに入っていた。
(どうする…さっきのを見る限りもうあの手は使えない。と言うことは簡単な物じゃ通じない…どうする…どうすれば……)
男が第一歩を踏み出す瞬間、志穂は閃いた。
(そうだ、簡単な物で良い。簡単で、一瞬だけ視界を奪えればそれだけで…後はヘルメスの風に任せれば…)
何かを思い付いた用な顔をした志穂を無視し男は走る。狙うは志穂の心臓ただ一つ。先程の結果を見て恐らく戦い方を変えてくる筈だろう。男には既にヘルメスの能力が何かある程度の予測が立てられていた。
(恐らく能力は幻影を見せる能力。見せる幻影は恐らく操作が可能。場所もある程度の指定ができている筈だ。しかし効果は極めて小さいと言える。視界を全て奪える訳ではなく一部のみ。そして本人の姿を隠す事もできないらしい)
そんな考察をしながら次に来る幻影が何かを警戒しながら男は走っていた。志穂の元まで後、十歩あるかないかという所まで迫った時、突如男の眼前に巨大な何かが現れた。急いで見上げると大きなレンガの壁の用な物だった。それは通り過ぎると同時に消え去った。
(居ない!?と言うことはあの壁は身を隠す為の物か…)
右、左と見回す。そこには大きなレンガの壁が立ちはだかっていた。
「そんなものを作ればそこに居ますと言っている用な物だろう!」
男は叫び、そして怒り走る。仮にも自分をここまで手こずらせた相手が最後、なんともつまらない事で命を落とす。その事実に酷く落胆し怒りを抑えきれ無かった。強く踏み込み壁へ向かい走る。念のため投げナイフを投げるがその壁に実体は無い。更に強く踏み込んだ男の腕には、一発の銃弾が被弾していた。
「あっぶなぁい…一発勝負ってヒヤヒヤするわね」
男は信じられなかった。まず志穂が自分の後ろに居ること、そして一発目からは想像もつかない程の精度の上がり方。自分が撃たれた事実が信じられなかったのだ。
男が向かって来る瞬間、志穂は一つの作戦を思い付いていた。まず壁を見せ自分の姿を隠す。そしてそこから物陰に姿を隠し反対側に壁を見せる。こうすれば隠れる姿を見られない限り壁の方へ意識が向く筈だ。志穂はそれを実行へ移したのだ。男があと数歩の所まで来た瞬間、志穂は大きな壁を見せる。そして風の用な速さでやや離れた物陰に身を隠す。男の叫び声と同時に身を出し男へ向かって拳銃を撃つ。興奮と自身の足音のせいか男は銃声に気付かなかった。
目を丸くする男。明らかに混乱している様子だ。それは当然の事だろう、この男は非常に頭が良く切れる。志穂が行った一連の行動を瞬時に予測し理解していた。しかし明らかに志穂の移動距離と志穂が使えた時間とではどうしても計算が合わない。速すぎる、どう考えても移動速度がおかしい。その事実を叩きつけられた男の頭はフリーズしていた。別の方法があるか模索したがそんなものは見つからない。計算は合わないがあの物陰に隠れていたとしか説明が付かない。もしくは仮にこの移動速度があるならば瞬時に男の死角へ移動し続ける事も可能だろうが、どちらも変わらない。
男の顔が明らかに混乱していることを教えてくれている。志穂はこの隙を見逃す訳が無かった。人とは思えない速さで男の眼前まで到達した。
「な、まさか既に他のカードを…」
言い終わるよりも志穂が男の頭を撃ち抜く方が遥かに速かった。男はその場に力なく倒れた。
「他のカードなんて無いっての。私はこのヘルメスだけで戦ってたわ…………速く見つけないとねぇ」
そう吐き捨てると志穂はその場を去った。これはまだ夏が始まってすぐの話である。