神のお告げを聞くと、
参加者の中には感激して涙を流す人さえいたが、
律子は何の感動も覚えなかった。
お告げの内容があまりにも一般的すぎて、
テレビドラマの「水戸黄門」や「遠山の金さん」の
決め台詞のように聞こえる。
心の中で「なあんだ」という気持ちにすらなったほどである。
一同は、航路で佐渡島へ向かい、島一周して祠を見つけては、
弥彦神社で行った儀式を淡々と繰り返す。
御神行の企画を立てて一同を先導するのは、山田である。
山田が二泊三日のスケジュールを立てるとき、
あまりにも多くの神社を回るように
立案、実行するのでかなり疲れた。
御神行の参加者のほとんどは中高年で、
中には七〇代と思われる老婦人もいた。
最年少の律子でさえくたくたに疲れるほどなので、
参加者にはかなり過酷な旅である。
御神行は一九九四年から二〇〇一年までの七年間、
新潟を皮切りに北海道、
東北、北陸、
八丈島、伊豆七島、富士山周辺、
近畿、四国、九州、沖縄、沖縄の先島の神社や聖地を回った。
初期のころは一六人の参加者がいたが、
一人、二人というぐあいに参加者が減り、
最後に訪れた沖縄の先島へいくころには、わずか六人だった。
山田は参加しなくなった人を
「あいつは堕ちたんだ」と軽蔑したが、
山田は病のため最期の御神行である
先島に行くことができなかったので、
何をか言わんやと思いたくなる。