日々の、その時々の人間関係や、会話に一喜一憂するのではなく、底流にある絶対なる大安心に身をまかせることが肝要である。大安心とは、すなわち、空性とワンネス、この身このまま仏、寂光の浄土、であることである。これが幸せである。
生きる意味とは、この身このままで、幸せであったことに気づくことである。
これから、死ぬまでの間に何らかの幸せを得ようと努力したり、特定の幸せを探し求めることではない。
生まれた時から、何が人生に起ころうとも、すでに幸せだったことに気づくことが、生きる意味であり、目的である。さらに言えば、死生一如を体感、実感し、それが、何も手を加えずとも幸せであったことに気づくことが生きる目的であり、生きる意味である。富も地位も名声も仕事も恋愛も友情も、取るに足らないものである。それらは、あっても、なくても、構わないものである。気づきである。多くの人は、一番自分の近くにある幸せに気づくことができないでいるのである。その気づいていない人々に、幸せを気づけるように、発信、感化していくことも生きる、意味であり目的である。
光に包まれている。光の中に安らいでいる。光の輝きのなかに漂っている。あるいは、闇に包まれている。闇の中に安らいでいる。闇の漆黒のなかに漂っている。自分もなく他もなく、すべては一つ、いや、すべては一つという概念も 超えている。寂静である。涅槃である。