子どもに対する言葉の伝え方について少し考えてた。


自分が子どもの頃と今とでは、主流となる考え方が異なるので、現在の考え方も取り入れつつ、たまに「自分が子どもの頃だったら、こんな言葉のかけ方はされなかったよなー」と意識することもある。


というか、うちの場合、子どもが検診で色々引っかかったりしたのもあって、声かけの方法を試行錯誤しないといけない状況だったから今風に寄せざるを得なかっただけというのもあるかもしれない。


試行錯誤しないで昭和〜平成初期あたりの考え方のままで我が子に接してたら、長い目で見ると少なくとも精神的に子どもを殺してしまうおそれはそこそこあるし、最悪間接的に死へと追いやる可能性もゼロではないと判断したから、子どもが生きる気持ちを失わずに済むような言葉の使い方はできないかと未だに試行錯誤を続けているだけ。


周りの様子を見ていると、子どもによっては昔ながらのやり方でも全然平気な子どももいるんだろうと思う。うちが無理なだけで。


パートナーは昭和の考え方寄りで、「自分が親にやられたことは我が子に繰り返すべき」という態度が強いし、変える気もなさそうなので期待していない。「自分が親にやられたことをそのまま子どもに繰り返すのが正しい」という考えの中にどういう論理があるのかよく分からないけど。家族という括りでも他人は他人だから仕方ない。


パートナーを見ていて、彼は「親になったのだから、自分は子どもに対してなにか無条件に権力を持っている」と思っているんだなーとよく思う。私だって欠点はたくさんあるし、子どもに対して不適切な接し方をしてしまったこともある。だけど、私は親という肩書きであっても、子どもにとっては一人の他者でしかない。


親という以前に私はただ一人の人間であって、子どもも子どもという立場以前にただ一人の人間でお互いは他者という関係。その他者同士の関係において自分の考えを分かってほしいなら、それに必要な説明を一つ一つ積み重ねないといけないと思う。


こんな風にグダグダ考えてしまうのは、自分の親が長時間愚痴を話してきたあとに「あんたは娘なのになんで親の気持ちを分かってくれないの!!誰も私のことなんて分かってくれない!!」と怒ることがよくあったからかもしれないです。


いやあー、人の心なんて手に取るように分かるわけないじゃないし、親のメンタルを親に非がある愚痴でも無条件に全肯定でフォローしろとかさー(親はこちらのメンタルがズタボロになるまで追い込んでくるんだけどね)、もうやってらんねーわけわかんねーと思います。


子どもだって後々私について「いやあれはマジでないわー」と思うことも出てくるかもなあとは思うけど、その時はその時で。反省します。


人間ってなんなんですかね。人同士においてどういう関係性のあり方が健康的なのか、そうでないのかとか、それまた考えは人それぞれなのかもしれないですけど、相手が自分より上か下かでしか判断できないような関係性は個人的にあまり好みではないし息苦しいなあと思うこの頃です。