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Drunk on Speech

このサイトは慶應義塾大学英語会Chief of Speechだった作者が、今まで学んできたこと・感じてきたことを公開しているものです。

大学生向けのエッセイを次々と公開していく予定です。どうかみなさんのSpeech作りの参考にしていただければと思います。


Win


このページでは、私が普段からSpeech全般について思っていることを好き勝手に綴ったショートエッセイを公開していきます。


50Waysのようにまとまった形式ではなくて、分量も内容も自由に色々と書かせてもらいますが、できるだけ現役生がSpeech活動を行う際に役に立つ話を書いていこうと思っています。


なお、この原稿に対する著作権はすべて作者であるナカオシュンスケが所有しています。各ESSの教育活動などでこちらの内容を使う場合は、事前に一声かけていただければ幸いです。


輝く舞台へ01 服装で勝負しない
輝く舞台へ02 録音時間をチェックする
輝く舞台へ03 コメントを一回では終わらせない
輝く舞台へ04 準優勝でおめでとうと言わない
輝く舞台へ05 初日から無理をしない
輝く舞台へ06 2連敗中はもう1敗を覚悟して3連勝する
輝く舞台へ07 ロジックはいらないという人間を信用しない
輝く舞台へ08 なぜ説明しようともしないテーマを選ぶのか?
輝く舞台へ09 言葉にできないものをSpeechで伝えることはできない
輝く舞台へ10 伝えることは勝つことの100倍難しい
輝く舞台へ11 なぜ一代にして長期暗黒時代に突入するのか
輝く舞台へ12 人に危険なことを平気でやらせようとする罪
輝く舞台へ13 戦略のミスを戦術で補うことはできない
輝く舞台へ14 自分のSpeechのゴールを明確にする
輝く舞台へ15 具体例を正しく使う1
輝く舞台へ16 「まずは一年生から」という言葉がESSを滅ぼす
輝く舞台へ17 誤った教育の権限委譲
輝く舞台へ18 4年生になっても大会に出場する
輝く舞台へ19 English Checkを受けてから応募する
輝く舞台へ20 考えをある程度まとめてから質問する
輝く舞台へ21 Questionerの論拠を問う
輝く舞台へ22 やる気があるという最低限のラインとは?
輝く舞台へ23 今期も勝てない予感がしている君へ
輝く舞台へ24 パラグラフライティングの基本1
輝く舞台へ25 パラグラフライティングの基本2
輝く舞台へ26 ジャッジのお世辞を真に受けない
輝く舞台へ27 成功例を提示する
輝く舞台へ28 Speech Sectionのホームページを作る1
輝く舞台へ29 Speech Sectionのホームページを作る2
輝く舞台へ30 Speech Sectionのホームページを作る3
輝く舞台へ31 Speech Sectionのホームページを作る4
輝く舞台へ32 Speech Sectionのホームページを作る5
輝く舞台へ33 服装は上品である限りそれ以上気にする必要はない

輝く舞台へ34 ニュースDBを作り定期的に振り返る

輝く舞台へ35 頭を使わない楽なブレストは時間の無駄どころか害悪

輝く舞台へ36 戦略的Q&Aの方法1

輝く舞台へ37 戦略的Q&Aの方法2


Drunk on Speech-Win


Q&Aは本編のSpeechを7分間披露した後のおまけのように捉えている人が多くいるが、実はQ&Aの出来不出来が優勝できるかどうかを大きく左右する。Speechの中身自体に傑出したものがほとんど無いような場合は、特にQ&Aの出来映えがそのSpeechを印象付ける。


なぜだろうか?


それにはいくつかの要因があるが、大別すれば以下の3つのようになるだろう。


①Q&Aはとっさに意見を求められるものであるため、その時の反応によってSpeakerがそのテーマに対して真剣に取り組んでいるかいないかがはっきりと出る。そして残念ながら、Speakerの大半はQ&Aでの受け答えによってSpeechで掲げているテーマに対して真剣に取り組んでいないという馬脚を暴かれるという事態に陥ってしまうのである。


②Q&Aはもう一度自分の考えを聴衆に強調することが出来るチャンスとなる。Speechの本質は自分が伝えたいことを形を変えながら何度も繰り返すことであるが、Q&Aでもそれを行うことで自分の意志を深く聴衆に訴えることができる。


③7分間という時間誓約の関係上、本文中で触れることができなかった論点をQ&Aでフォローすることができる。その分だけSpeechの幅が増し、聴衆を説得できる余地も広がる。


このように優勝するかどうかの大きな分かれ道となるQ&Aに対して、どのように戦略的な受け答えを行えばよいかということについて、これまでKUELからも社会人レクチャラーからも全くといって良いほど明確な方法論が提示されることは無かった。そこで今回からいくつかの回に分けて、いかにして戦略的なQ&Aを実践し優勝カップをもぎ取っていくかについて書いていきたい。


それではまず最初に、Q&Aを戦略的に実行するにはどうしたらよいのだろうか?


私はこの疑問に対して4つのポイントがあると考えている。


①自分がSpeechの中で何を主張しているのかを正しく理解する。そしてその主張に絶対的な自信を持つ


「なんだ当たり前ではないか」という言う人もいるかもしれない。しかし実は簡単なようでそれができていないSpeakerが90%以上いるといっても過言ではない。だからほぼ全てのSpeakerの不誠実さ・不真面目さがQ&Aによって暴露されるのだ。


かつてWinning Stageの原稿の中 で、ホームレスのSpeechを行った際のQ&Aの受け答えについて触れたことがある。当時、ホームレスについてのSpeechを扱ったSpeakerは、某氏のQによってことごとく潰されていた。それも、「ホームレスは遊びでやっているのだからわざわざ私達が助ける必要が無い」というSpeechの根底を覆すようなQによって潰されていたのだ。


もしも、「ホームレスの人は遊びでホームレスをやっているわけではない」という自分の主張に対して絶対的な自信を持っているのであれば、まず最初に某氏のQに対してはっきりとNo!を突きつけるはずであるが、多くのスピーカーは、「それは難しい質問だ」とか「えーと、うーん」と、Aの出だしから白旗をあげて降参の体制に入ってしまっていた。


私は、これこそが「ESS Speechの欺瞞」、つまり「Speechの原稿を作るための図書館内の調査しか行っておらず、実際にテーマとなる人々に会ったことも接したことも無いから、自分の意見に絶対的な自信を持つことができない」という虚無の世界を示していると思う。こうした卑しいSpeakerの不誠実さがQ&Aによって改めて暴露され、聴衆をがっかりさせてしまうのだ。


②Speechの中でその主張をサポートしてくれている具体例・データ等にはどのようなものがあるのかを構造的に理解すること


パラグラフライティングに関する記事で何度も言っているが、Speechの中で提示されている具体例やデータは、自分の主張を形を変えて繰り返したものでなくてはならない。つまり、「具体例やデータ=自分の主張」なのだ。しかし、この具体例やデータに関するQに対して効果的に返答しているSpeakerもほとんどいない。


自分の主張を真に理解していないから、結局具体例やデータが一体自分のどんな主張を支えてくれているのかを十分に考えることもせずに大会に足を運んでしまう。


結果として、自分の主張を支えてくれている具体例やデータは質問者からケチですぐに揺らいでしまう。これはつまり、自分の主張自体が砂上の楼閣の上に作られたいんちきなものでしかないということを暴露されているようなものだ。


大会に出場する前に、自分が提示している具体例・データにはどのような特徴があり、何を支えているのかを正確に理解しなくてはならない。その上で、その情報に自分が自信が持てる根拠は何であるかを構造的に把握してQ&Aに備えなくてはならないのである。


Questionerと自分は対等な立場にあり、このTopicに関しては自分の方が深く理解しており、恐れるものは何もないという自信を持ち、堂々と答えること。


Q&Aセッションの中でQuestionerと自分の意見が対立したとき、自分の方が具体例・データを持っている分、自分の方が有利であることをきちんと理解しなくてはならない。


質問者が自分の主張とは異なる意見を表明してきたとき、まずは焦らずにその論拠を問いただす。そして、彼が何に基づいてQで述べている主張を展開しているのかを明らかにしよう。


Q&Aセッションだからといって、出場者は答える一方でなくてよい。Qを一方的に受けているだけであれば質問者に勝てるわけが無い。彼が何を根拠にそういうQを飛ばしてくるのかを問いただす。そして、自分が用意していた具体例やデータと質問者の論拠を比較して、どちらの方が主張として信憑性があるのかをAで展開していく。


このような受け答えのプロセスを踏めば、回答者が質問者に負けることなどまず無いはずである。もし負けるのだとしたら、その出場者は、自分が選んだTOPICについて深く調べることを怠り、絶対的な自信を持って聴衆に主張を展開できていないことになる。こういう馬脚を暴かれないためにも、Q&Aに対する準備は入念に行う必要があるのである。


④回答者はただ単に質問に答えればよいというものではない。それでは戦略的Q&Aとは言えず失敗する可能性が高い。全てのQを好意的に捉え、それに対するAは自分がSpeechの中で述べていた主張を形を変えて繰り返すものにする。


Speechの本質は、自分の伝えたいことを形を変えて何度も繰り返すことである。もしもそうであるならば、Speechに付随するQ&Aも自分の主張を形を変えて繰り返すものでなくてはならない。それ故に、Aの最後は必ず自分の主張を形を変えて繰り返すようにして終わらなくてはならないのである。


例えば、ごく簡単な例で言うと、「いじめの報告件数の動向はどうなっているのですか」というQが来た時に、ほとんどのSpeakerは、「5年間で年率5%増えています」としか言わないでAを終える。これでは聞かれたデータを馬鹿正直に答えただけで、自分の主張を再度アピールすることができない。


そうではなくて、例えば以下のように答えるのだ。


「過去10年の最初の5年の伸びは年率5%でしたが、後半の5年のそれは7%にも増えています。直近1年の速報では10%にも増えています。いじめの報告件数が加速度的に伸び率が延びていることがわかると思います。事態は昔とは比べ物にならないくらい深刻になっていて、それ故に私は一刻も早くいじめ問題に手を打たなくてはならないと思っているのです



馬鹿正直にデータだけ示してAは終わりではないのである。Aは自分の主張を形を繰り返して終えなくてはならない。そうすることで聴衆が受け取るそのSpeakerへの信頼度が格段に上昇するのだ。


こうした非常に大事な論点についてもこれまでESS界では誰も提示してこなかった。もったいない話である。


今回は第一回ということで少々抽象的に全体像をまとめたが、次回以降はいくつかの論点について具体例を挙げながらより詳しく記事を書いていくことにする。


Drunk on Speech


レクチャーと銘打ったものならばどんなものでも何かしら意味のあるものがあるはずだと考えている学生が多い。しかし、そんなことはない。


間違った概念を刷り込まされ、Speech作りに向けた意識を甘えさせて堕落させるようなレクチャーも巷には多いだろう。そして、馬鹿の一つ覚えのようにそれを盲目的に信じるようなら、そのレクチャーは有益とは正反対の有害なものとなる。


例えば、いつの時代にもあるのが、「PHCSにも一理ある」という有害なレクチャーだ。この手のレクチャーは、PHCSから抜け出すことができずに、結局大会でろくな成績を残せなかったような人から伝授される。


特徴的なのは、「PHCSにも一理ある」と銘打っているにもかかわらず、そのレクチャーのほぼ全てがPHCSの枠組み(もしくはその亜種)に沿った内容でしかないということだ。そしてそれを正当化する。


こうなるのは当たり前だ。レクチャーをやっている人間がPHCSの呪縛を振り払い、そこから抜け出して大会で優勝したような実績を持っていないのだから。50Waysでも述べたが、人間は自分で経験して達成したこと以外は人に語ることなどできないのだ。


不思議なのは、こうした人を講師としてレクチャーに呼んでしまう現役生のメンタリティだ。大会で優勝したことも無く、社会人として他人に秀でた経験を長きに渡って経験してきたわけでもない人に、一体何を期待してレクチャーを受けるのだろう。


例えば、私が現役生だったころのKESSでは、現役の3年生はレクチャーをしてくれる人間を非常に厳選していた。部内に実績を残した有能な上級生がいればレクチャーをお願いしたが、そういう人がいない年は、他大学でしっかりとした実績を残した人に講演をお願いしていた。


そういう人が関西にいる場合などは、教育の責任者であるチーフが電子メールや電話を使って色々と質問をして、そのエッセンスをまとめて勉強会で使っていた。


実績を残していない人をレクチャーに呼ぶなどということは考えもしなかったし、実績を残していないにもかかわらずレクチャーをやるような人がいる集団の行事には、「間違った概念を植えつけられると困る」として一切参加しなかった。こうした行動は私の代だけではなく、私以前の代は皆そうだったと聞いている。


この人に講師をお願いしたらどんなレクチャーになるだろうかということを吟味するのは頭を使う作業だ。その人の過去のSpeechを研究し、何かしらの教育資料を公開している場合はその内容を詳しく調べてみる。そして、その人はSpeechについてどのような意見を持っているのかを調査しなくてはならない。その上で、自分達のESSに今足りないものは何であり、その人ならばそれを埋めてくれることができるかどうかをしっかり検討すべきだ。


ところが、毎年お願いしているからとか、部内の先輩だから呼ばなくてはならない慣例があるとかいう理由で、何も考えずにレクチャーを企画してしまう。なぜなら、そういう企画方法は馬鹿でもできる頭を使わないからやり方だからだ。


しかし、はたしてそれで効果のあるものが得られるのだろうか?効果があるどころではなく、聴講生にマイナスの影響を与えてしまう可能性は無いのだろうか?頭を使って考えることができない企画者は、そうしたことなど気に留めたことも無いだろう。


そうしたレクチャーが企画されると、とにかく現役生は何でも参加してしまう。少しは何か得られるものがあるかもしれないとしか考えられないからだ。


ちょうど、絶対に自分にとってマイナスでしかない飲み会の2次会に、何も考えず、断ることができずにとりあえず行ってしまうタイプの人間と似ている。最後には酷い二日酔いと追加の出費でしぼんだ財布が残され、何より貴重な翌日一日の時間が無駄になるのである。


そういう人は、他の人間がそのレクチャーに参加している時間、どうやらこのレクチャーは無駄なものになりそうだと判断して、自分は単独行動でフィールドワークを行った方が有益ではないかという比較検討ができない。Speech作りでは比較して考えることが重要なのだから、こういうメンタリティを持った人はその時点で優勝できない組に入ってしまっている可能性が高い。


そして、いざ参加してしまうと、馬鹿の一つ覚えのように全てを鵜呑みする。その内容のどこが賛成でどこが賛成しかねるのかを判断することをしない。何よりも、本当は今までのやり方を変えなくてはならないと思っていた意識を、「そのままで良いんだよ」という有害なレクチャーを聞くことによってかなぐり捨ててしまう人が多くいる。その方が自分にとって改革の棘の道を進むよりも楽だからだ。


私がこれまで書いてきたことは、まともな社会人の間では極めて常識的なことばかりだと思うが、なぜかESSの学生の多くからは反発を受ける。


それは前にも書いたが、苦労して大会で優勝して勝利を掴み取った人間よりも、どこかで楽して優勝を取り逃がした人間の方が圧倒的に多いからだ。


そして、楽して成果をあげなかった人間の、「そこまでやる必要はない」とか「今までどおりやることにも意味がある」という甘い囁きの方が、弱い現役生に受け入れられやすいのだ。


これから新しいことを実践していかなくてはならないという重圧は、そうした有害なレクチャーを受けることで一気に解き放たれる。しかし、当然のことながらそうした態度では結果を出すことはできない。


そうした大多数の人間が、最後まで必死で頭を使って考えて努力して優勝を勝ち取った少数の人間の言葉をかき消していく。その大半は、「勝った者が語っている傲慢な意見だ」とか「勝つことだけがSpeechではない」というSpeechの本質とはかけ離れたものでしかない。


レクチャーを企画する方も受講する方も頭を使わなくては意味が無い。このレクチャーは何のために開催するのか、効果はあるのか、下手したら有害なものになるということぐらい考えたらどうだろうか。


また、受講する側は、レクチャーと名のつくものには何も考えずに全て出席するという態度を改めなくてはならないのではないか。いざ受講することを決めた後も、自分の耳にとって聞き心地の良いものだけを受け入れるというという態度を改めるべきではないだろうか。きついけれども価値がありそうだというものを無視し続けて本当に良いのだろうか。


レクチャーでは必死にメモを取って、その中身を吟味することなく全部吸収するのが美徳とされているならば、そうした集団は決して傑出した人物を輩出することなく終わるだろう。自分でしっかり考えて、自分に必要なことであれば逃げることなくそれを実践する。そういう苦労を重ねた人だけが、優勝カップを手にすることができるのではないだろうか。


Drunk on Speech


中規模以上の大会での優勝経験(もしくはせめて福澤杯か大隈杯で入賞)の無いインストラクターが、優勝を目指している下級生に対して積極的に教育を行うことについてどうかと聞かれたことがある。私は基本的に賛成できない。


各インストラクターが自分のESSの内部で指導を行うのは、新しいチーフとその関与度合いについて相談しながら勝手にやれば良いと思うが、学生団体の代表として対外的に教育を行えるほどの能力が、彼らの中でまだ十分に高まっているとは思えないからだ。

この意見について、「ひどいではないか」という抗議をとある現役生から受けた。彼の意見は、優勝経験の無いインストラクターの面子を擁護するものに終始したが、本来教育活動は下級生のためにあるものであって、インストラクターの体面を保つためにあるものではない。その点で彼の意見は感情論に基づいた至極的外れなものであると考えられる。

それでは逆に問いたいが、大会で優勝したことも無く、社会に出て他者と比較して充実した経験を積んだわけでもない人が、Speech活動から抜けたたった数ヶ月の間にどうして下級生に対して有効な教育ができるようになるというのだ?


もしも大会で惨敗した時から大して成長もできていないのなら、その人が行う教育では潜在能力のある現役生を優勝に導ける可能性は低いと言わざるを得ない。

そうであれば、インストラクターとしての教育は、前年に好成績を収めた少数のインストラクターが一手に行うほうが聴講生のためになるのではないか。

それでもどうしても教育活動を全てのインストラクターに分担させたいのならば、私に文句を言う前に、自分達インストラクターが対外的に教育活動を行っても問題ないくらいにレベルアップを図るにはどうしたら良いかを頭を使って考えるべきだ。

私が思っているアイデアは、


インストラクター全員が6月末あたりに独自の対抗戦を開催し、そこで入賞を果たした3人が、晴れて夏のセミナーで教育活動を行うという仕掛けを作ったらどうか


ということだ。

下記のエッセイでも述べている通り、私は4年生もOpen大会に積極的に出場すべきだと考えている。


http://ameblo.jp/drunkonspeech/entry-10104137004.html  



その最大の理由が就職活動の存在である。これまで自分の意見というものに対して論理的に否定された経験に欠ける多くのESS生は、Open大会でジャッジやクエスチョナーが少しばかりそのSpeechを批評しただけで拒絶反応を示す。

しかし、就職活動の面接官のそれは大会のジャッジやクエスチョナーの比ではない。志望動機や自己PRに対して、何を根拠にそういえるのかということを徹底的に詰めてくる。2008年までは就活バブルが存在したため、馬鹿でもそれなりの企業に就職できたが、2009年からはその様相は一変するだろう。

私は、そうした難関を潜り抜けて内定を勝ち取った4年生が作るSpeechは、3年生が作るSpeechよりも格段に良くなっている可能性が高いと考えている。だから、3年生までにしょぼい成績しか残せなかったインストラクターは、優れたSpeechを披露して真のインストラクターへと脱皮するために、最後の対抗戦で思う存分戦ってみたらどうだろうか。

6月末であればさすがに就職活動は終わっているだろう。また前期末試験にはまだ1ヶ月くらいも余裕がある。大会運営に手間をかける必要など無い。立派な会場も要らないし、横断幕もいらない。もちろん商品などいらない。パンツケアもいらない。ジャッジやクエスチョナーは全て聴衆に任せ、順位は投票制にしてしまえばよい。


聴衆に来場してよかったと思わせるものは大会の外面ではなく、大会で発表されるSpeechの中身で十分だ。

そう考えると、インストラクター対抗戦を開くのに必要なのは、
・会場の確保
・MCと数名の誘導&集計係の依頼(他のセクションの人に頼めばよい)
・大会の告知


だけだ。これなら就職活動の邪魔をするほど時間はかからないだろう。

きっと多くの下級生が、「4年生になったあの先輩は、一体自分達にどんなSpeechを聞かせてくれるのだろう」と大会の観戦に詰め掛けるだろう。そして、新たに生まれ変わったあなたの姿を下級生に披露することが一番の教育になる。

もちろんSpeechの原稿は既発表不可とする。とにかくこの半年間、下級生の前で発表してもおかしくないくらいの教育能力を身につけるために、最後のSpeech作りに打ち込んでみる。


せっかく来てくれた下級生を失望させるようなSpeechを見せてはいけない。精一杯打ち込めば、就職活動での厳しい試練が、あなたのSpeechをキラリと輝かせてくれるに違いない。

それでもまだ、「就職活動が長引いたらそんな対抗戦をやっている暇はない」とか、「下級生の前でまた負け戦をさらすのは怖い」と考えているようならもう何も言えない。残念ながらそういう君には下級生の教育を引き受ける資格は無い。インストラクターという名前自体がおこがましいから、第一線から身を引くべきだ。

もしプライドがまだあるのであれば、自ら最後の舞台を用意し、そこで優勝できるように懸命に取り組むべきだ。そうした厳しい過程を経てきた者だけが、真のインストラクターとして下級生の能力を高める教育活動を行えるのではないだろうか。