東日本大震災について | Taka by SIMONSAYZ Blog

東日本大震災について

東日本大震災からはや5ヶ月が過ぎました。

地元が被災して、自分は被災しておらず、震災後しばらくは現実とメディアの中の出来事の狭間にいるような感覚で、どうにも気持ち悪い日々でした。

震災後2、3日経ってブログに何か書こうとキーボードをとにかく叩きまくりましたが、結局ちぐはぐな文章で思いがまとまらずアップする事はできませんでした。

交通機関も少し復旧し始めた4月に状況を確認しに一度仙台に帰りましたが、実家は津波の被害はなかったものの、窓は外れ外壁にヒビが入り、散乱した本は地震後そのままの状態でした。

4月に帰省した三日間は、少しボランティアにも参加しました。
初日に参加した内容は、高齢者の一人暮らし宅の後片付け。
高齢者の一人暮らしでは地震でずれたり倒れた重い物を移動するのは困難で、それらの中から飛び出た細かい物も当然片付かず、時が止まったままでした。
自分達がボランティアに入る事でようやく時を進める事ができました。
ボランティアは善意から行う事であるとは思っていますが、仕事としてやる以上に注意を払わなければ逆に相手を傷つけてしまう難しい事だという事も実感じました。
目に見える見返りがないので自己満足で終わってしまう事も多いのだろうなと思い、強い気持ちと責任感を持たねばやってはいけない行為なのではないかとも思ってしまいました。

津波でやられた名取や荒浜も見てきました。
震災後1ヶ月は、一般の車は途中までしか入れませんでした。
そのため、実家から自転車で30分くらいかけて荒浜周辺をまわってきました。
砂埃が舞い、下水の臭いが漂い、自衛隊の車や大型トラックの行き交う音しか聞こえず、人の気配はまるでありませんでした。
不思議な事に、海側に近づくにつれ異様な景色に包まれていき気持ちもどんどん沈んでいったのですが、津波の被害をうけた地域にずっといるとその光景が当たり前のように思えてくるのです。
内陸に戻ると今度は今見たばかりの被災地の風景が絵空事の様に思えてきてしまうのです。
なんとも不思議な感覚にとらわれました。

その後4ヶ月程経ち、8/13から昨日までまた帰省していました。
その後あの不思議な感覚を受けた地域はどのようになったのだろうかとまた荒浜に行ってきました。
大分瓦礫などの撤去は進み、道路は綺麗になっていましたが、土台だけになった家やブルーシートで覆われただけの建物、大型の漂流物だけが撤去され小物類はそのままにされた建物など、人間の手によって作り出された物だけ時が止まっていました。
草花はそれらの建物の側や土台から何事もなかったかのように咲きほこり、手入れも何もされていない状態が更に時間が止まっている様を強く意識させているようでした。

荒浜を見学した夜、閖上で行われた「なとり鎮魂灯籠流し」に行ってきました。
それぞれの思いが込められた灯籠、閖上中学校に映し出される被災者の想い、鎮魂と復興の想いを乗せた3000発の花火。
屋台も各有名店が集いまさに格安で商品を提供しており、どこかお祭りムードはあるものの厳かな雰囲気でした。

奥松島にも見学に行ってきました。
奥松島は荒浜よりも地震当時の状態のままで、がれきの撤去はほとんど進んでいませんでした。
途中中学校があり(恐らく鳴瀬第二中学校)1階は机や椅子は校庭に出されていましたが、2階は震災当初のままでした。
地盤沈下もかなりひどく、でこぼこし、砂利が巻かれた道路が延々と続いていました。



被災もしてない人間がどれだけ文字を綴っても、正直被災者の気持ちを理解するのは難しい事だと思います。
両親や友人知人の話を聞いても、体験していないのだからその恐怖ははっきりいってわかりません。
でも、前回と今回被災地を見学し、少なくとも津波や地震の爪痕を目に焼き付け、感じる事はできました。
正直大した支援はできていません。
直接被災はしていなくとも、忘れる事のできない災害です。
せめてこの現実を忘れないように、少しでも多くの人に伝える事ができればと思っています。

正直こんなにだらだらと書くつもりはありませんでしたが、今回ようやく東日本大震災について向き合ってみようと決心がつきました。

文章はひどく幼稚ですが、被災地の様子を写真と映像に残していますので、少しでも被災地の今が伝われば幸いです。


■写真
20110420東日本大震災後1ヶ月荒浜方面

20110813東日本大震災後5ヶ月荒浜方面

20110813なとり鎮魂灯籠流し

20110815東日本大震災後5ヶ月奥松島


■動画











西島 貴裕