今は体調も落ち着いて、職場復帰も無事にはたし、何事もなかったように働いています。
通院も月に一回になりました。
まだ投薬後のウィルス量は測ってませんが、開始時のウィルス量は目を疑う数値で、肺炎で入院したときの三倍。250000コピー×3でした。医師は一言「増えたねー」とだけ。いや、もう少しなんかあるやろ。
入院してた1カ月でこんな指数関数的な単位で増えていくなんて、本当に恐ろしい。
おまけに血球減少が出ており、白血球と血小板が少ないといわれ、これが続くと危ないと言われる。
常用していたバクタを毎日から一日おきにするよう言われました。

1週間後、血球減少も改善して、ずっと低かったリンパ球の数も正常範囲に近づきました。
薬の副作用だったみたいです。

さらに1週間後、採血は中性脂肪以外ほとんど異常なし。肝臓の値も正常にもどり、医師はこれなら大丈夫、大丈夫や。となんとも軽く言ってくれちゃいました。
しかも、いつもさん付けだったのに、なぜか今日はくん付けだった。
距離が縮まった気がしてちょっと嬉しかったが、すぐにじゃあ、次は1カ月後ね。と言われ、毎週通院だったのに、もう1カ月単位になるのかと思うと突然転勤で遠距離恋愛になったみたいで少しさみしい気もした。あんまりこないでと思われてるのかなとも思った。

そんなこんなで職場復帰、仕事は前とかわりなくこなしているのですが、ただ、人との接し方は以前のままのようにはいきません。
自分が人に言えない病気を持っているという引け目からか、ついついすぐに会話を終わらせようとしてしまいます。僕にかかわらないで的なオーラも出てると思います。
人と関わって、知られるのが怖いです。関係ない病気の話でも、会話の話題になると、耳を塞ぎたくなります。病気持ちとして、バレないようにこれから社会に関わっていかなければいけない事に関してはなかなか楽観的にはなれません。

職場にこの病気ではないけど、難病に悩まされている先輩がいます。
一度、業務中に吐血して救急車を呼んだ事もあるそうです。
たまたま帰りの電車が一緒になったので、話をしました。どうやら前日に体調崩し、救急車で運ばれたそうで、今からも病院に行くとの事。
よくしてもらっていて、わりと心を許している人なのですが、自分の病気を聞かれた時に本当の事は言えませんでした。ただ、これから付き合っていかないといけない事をいうと、それ以上は何も詮索しないでくれました。
体を壊して初めて健康の大切さがわかったとか、病人が一般の社会でどれだけ無邪気な悪意に苦しめられているかなんて事を数駅の間、話しました。最後になんかわかってもらえて救われた気がする。と言われました。そんな先輩がひとり病院に向かっていく後ろ姿は今にも折れてしまいそうな枝のようで、とても悲しげに見えました。
本心からでた言葉なのかどうかわかりませんが、こんな自分が誰かの心を少しでも支える事ができたなら、それほど嬉しい事はないと思いました。
以前の自分なら、そんな事想わなかったと思う。かわいそうな人に優しくするのは善い事だという理屈は頭にあるのだが、どこかで所詮自分には関係のない話だと思って、優しくしてあげたという事実だけで満足していたと思う。
今こんな身になって初めて味わう感覚なのかもしれない。
他人の痛みの力になりたいという気持ち。
そんな自分でありたいと思うのは、良いことをすれば天国にいける。ではないけれど、人に優しくしておけば自分は苦しみから逃れられるんじゃないかという根拠のない理屈にすがりつこうとする気持ちがどこかにあるからなんだろうか。
僕は自分のために人に優しくしたいのだろうか。

まあ、いいや。
考えるだけムダだな。
きっとハゲる。

誰かが言ってたな。

しない善より、する偽善