退院四日目
朝から胸の違和感は気になり出すと気になってしょうがない。
こないだの検査ではまだ完治ではないが、僕の場合こんなに良くなってるのはビックリと医師もいうくらい血中酸素の回復が良かったらしく、驚いていた。呼吸器の医師が退院を許したのも、この回復があったからであろう。血液の医師はえ、退院?みたいなこちらから戸惑いが読み取られるほどの感じだった。
肺炎再発じゃないよな
頼む‥
それだけは‥。
と熱を計ると37度を越えてきた。退院はやはり早計だったかと思い、こまめに体温を計る。
クーラーつけて、横になってるとなんとか6度6まで下がる。
クーラーつけてないので、猛暑のせいで体温が高くでたかどうかはわからないが、体温計が手放せない。
ただ、この猛暑は病人にはこたえる。熱中症で倒れて発見される独り暮らしの老人のきもちがわかる気がした。暑さは怖い。
体の震えやすくんだ感じは抗不安薬を飲むことでかなりおさまる。
やはり心因性か。
ショックの余韻が消えていない気がする。
ネットで病気について再度情報を確認し、やはり自分は免疫能力が極端に低下してる状態だと再認識。
この病気はHIVウィルスが直接体を傷つけるのではなく、免疫細胞が壊される事で重篤な感染症を発症してしまう、というメカニズム。
今、HIVウィルスに対する抗ウィルス薬をまだ飲んでいない僕は、免疫能力がウィルスによって壊され続けている状態。この状態で危険な他のウィルスを吸い込んでしまうと、そのダメージは計り知れない。
防御力0で敵地を歩いているようなものである。雑魚敵の攻撃を一発喰らうだけで致命的になる状態。
今出来ることはその攻撃がヒットしないように回避する事、そして感染予防薬である程度、特定の攻撃を無効化する事。
そんな状況である。
数日後に抗ウィルス薬の投薬が始まるが、それまでしっかり体調が維持できるか心配だ。
金銭面や家族にバレないようにするための理由から、毎週通院、何かあったら即入院という約束で外来で投薬という話になったのだか、やはり入院しようかと悩んでいる。
投薬時は、薬が合わない場合もあるらしく、医師は投薬時に入院で様子を見たいと言っていたが、無理もない。僕のCD4数は検査時には11しかなかったからだ。通常健康な人なら800以上あるという。
元々この数値がどういう意味を示すものか知っていた僕はその結果の極端さにもうダメなんだと思っていたが、投薬を始めれば回復の可能性があるらしい。僕はそこに生きれる可能性を感じた。
何故か、内視鏡検査後の採血では、リンパ球の数が一時的に回復していた。
体はまだ生きるために必死なんだ。
と感じた。
よく死なずに頑張ったな。
とも思った。
肺炎治療の入院時、ようやく自分でシャワーを浴びれるようになった時の話だ。
免疫低下と、続く仕事でのプレッシャーと責任感からの疲労、帰宅してからの家族に対する不満によるストレスが長く続き、免疫低下による体調不良で食事もろくにとってなかった僕の体は難民を彷彿とさせるほどやせこけていた。
わかってはいたが
みたくなかった。
しかし、入院後しばらくステロイド使用の影響か食欲が止まらなく、食がギャル曽根状態で口に運ぶ食物が止まらなかった。病院食をたべ、栄養剤をのんだ上に、見舞いに唐揚げ弁当を要求するまでになっていた。
みるみる体に肉がつき、腕が太くなり、肩に肉が乗り、気分が良くなって言った。
シャワーを浴びるときに自分の裸をみるとその様子は顕著に理解する事ができ、少し肉がついてたくましくなった体を洗いながら、僕の体はまだまだ生きたいんだ。と強く感じた。
痛かったろう?
苦しかったろう?
肺炎になんかなるまで、ずっと一人で戦って
今までずっと
痛いよ
苦しいよ
しんどいよ
って泣いてたのに、それに気づきながらもこんなになるまで処置してやれずにいたのかと思うと、自分の体に申し訳ない思いでいっぱいになった。
昨年、違う病気で入院した時、同じ部屋のジィさんと会話した時
「痛いのは体が生きたがってるんや」
と言ってきたのを思いだした。
その場でその言葉のもつ意味を実感する事はなかったが、今なら実感した気がする。
ごめんな。
ごめんな。
大切にできなくて、ごめんな。
お前はまだ生きたいんだよな。
生きたくて必死に頑張ってるんだよな。
シャワーを流しながら、同時にとまらない涙を流しながら、体を洗った。
少しでも、自ら命を断ってしまおうと考えていた頭を恥じた。
体はこんなに生きたいって叫んでるのに、もうダメとか運命なんだとか言って諦めてる場合ではないとおもった。
何としてでも生きてやる。
この体のためにももっと自分を大切にしてやる。この体が
そう思った。
やっぱり入院して治療に専念しよう。それが体に大切にしてあげるって事な気がするから。

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朝から胸の違和感は気になり出すと気になってしょうがない。
こないだの検査ではまだ完治ではないが、僕の場合こんなに良くなってるのはビックリと医師もいうくらい血中酸素の回復が良かったらしく、驚いていた。呼吸器の医師が退院を許したのも、この回復があったからであろう。血液の医師はえ、退院?みたいなこちらから戸惑いが読み取られるほどの感じだった。
肺炎再発じゃないよな
頼む‥
それだけは‥。
と熱を計ると37度を越えてきた。退院はやはり早計だったかと思い、こまめに体温を計る。
クーラーつけて、横になってるとなんとか6度6まで下がる。
クーラーつけてないので、猛暑のせいで体温が高くでたかどうかはわからないが、体温計が手放せない。
ただ、この猛暑は病人にはこたえる。熱中症で倒れて発見される独り暮らしの老人のきもちがわかる気がした。暑さは怖い。
体の震えやすくんだ感じは抗不安薬を飲むことでかなりおさまる。
やはり心因性か。
ショックの余韻が消えていない気がする。
ネットで病気について再度情報を確認し、やはり自分は免疫能力が極端に低下してる状態だと再認識。
この病気はHIVウィルスが直接体を傷つけるのではなく、免疫細胞が壊される事で重篤な感染症を発症してしまう、というメカニズム。
今、HIVウィルスに対する抗ウィルス薬をまだ飲んでいない僕は、免疫能力がウィルスによって壊され続けている状態。この状態で危険な他のウィルスを吸い込んでしまうと、そのダメージは計り知れない。
防御力0で敵地を歩いているようなものである。雑魚敵の攻撃を一発喰らうだけで致命的になる状態。
今出来ることはその攻撃がヒットしないように回避する事、そして感染予防薬である程度、特定の攻撃を無効化する事。
そんな状況である。
数日後に抗ウィルス薬の投薬が始まるが、それまでしっかり体調が維持できるか心配だ。
金銭面や家族にバレないようにするための理由から、毎週通院、何かあったら即入院という約束で外来で投薬という話になったのだか、やはり入院しようかと悩んでいる。
投薬時は、薬が合わない場合もあるらしく、医師は投薬時に入院で様子を見たいと言っていたが、無理もない。僕のCD4数は検査時には11しかなかったからだ。通常健康な人なら800以上あるという。
元々この数値がどういう意味を示すものか知っていた僕はその結果の極端さにもうダメなんだと思っていたが、投薬を始めれば回復の可能性があるらしい。僕はそこに生きれる可能性を感じた。
何故か、内視鏡検査後の採血では、リンパ球の数が一時的に回復していた。
体はまだ生きるために必死なんだ。
と感じた。
よく死なずに頑張ったな。
とも思った。
肺炎治療の入院時、ようやく自分でシャワーを浴びれるようになった時の話だ。
免疫低下と、続く仕事でのプレッシャーと責任感からの疲労、帰宅してからの家族に対する不満によるストレスが長く続き、免疫低下による体調不良で食事もろくにとってなかった僕の体は難民を彷彿とさせるほどやせこけていた。
わかってはいたが
みたくなかった。
しかし、入院後しばらくステロイド使用の影響か食欲が止まらなく、食がギャル曽根状態で口に運ぶ食物が止まらなかった。病院食をたべ、栄養剤をのんだ上に、見舞いに唐揚げ弁当を要求するまでになっていた。
みるみる体に肉がつき、腕が太くなり、肩に肉が乗り、気分が良くなって言った。
シャワーを浴びるときに自分の裸をみるとその様子は顕著に理解する事ができ、少し肉がついてたくましくなった体を洗いながら、僕の体はまだまだ生きたいんだ。と強く感じた。
痛かったろう?
苦しかったろう?
肺炎になんかなるまで、ずっと一人で戦って
今までずっと
痛いよ
苦しいよ
しんどいよ
って泣いてたのに、それに気づきながらもこんなになるまで処置してやれずにいたのかと思うと、自分の体に申し訳ない思いでいっぱいになった。
昨年、違う病気で入院した時、同じ部屋のジィさんと会話した時
「痛いのは体が生きたがってるんや」
と言ってきたのを思いだした。
その場でその言葉のもつ意味を実感する事はなかったが、今なら実感した気がする。
ごめんな。
ごめんな。
大切にできなくて、ごめんな。
お前はまだ生きたいんだよな。
生きたくて必死に頑張ってるんだよな。
シャワーを流しながら、同時にとまらない涙を流しながら、体を洗った。
少しでも、自ら命を断ってしまおうと考えていた頭を恥じた。
体はこんなに生きたいって叫んでるのに、もうダメとか運命なんだとか言って諦めてる場合ではないとおもった。
何としてでも生きてやる。
この体のためにももっと自分を大切にしてやる。この体が
そう思った。
やっぱり入院して治療に専念しよう。それが体に大切にしてあげるって事な気がするから。

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