2011年7月
「血液検査をしたところ、HIVという病気が陽性という結果がでました。」
PCの画面を見せられながら、医師にそう言われました。
目の前が真っ暗になり、その直後のやりとりはほとんど覚えていません。ただ陽性を知らされたときの上記の言葉だけは一言一句、鮮明に覚えています。告知からしばらくたった今でも、目をつぶれば告知のときの光景が目の奥にハッキリとよみがえります。
重大な事を伝える時の重い空気、
こちらを見つめる医師の目、
蛍光灯の形、
目の前が霞んでいくような感覚‥。
呼吸困難を起こして肺炎と診断され、入院した翌日の事でした。
肺炎はHIVによる免疫力不全が原因で発症する肺炎でした。
つまり、僕はHIV感染の事実を知らされたとともに、エイズを発症してしまっていたのです。いわゆるいきなりエイズさんです。
HIVという病気は血液中の免疫細胞がウィルスに破壊されていき、免疫細胞の数が減ってくると健康な人がかからないような、さまざまな感染症にかかってしまいます。これら免疫不全による各種病気を発病した状態をエイズといいます。
エイズ発症前に抗ウィルス剤を投与できれば、発症せずにすむ可能性があります。なので、発症前に感染を知るのと知らないのでは大きな違いがあるのです。
ショックとか、もう頭のなかにある言葉だけでは表現できない感覚でした。
あぁ、もう人生終わった。
仕事は?
家族は?
相方は?
お金は?
死ぬの?
いろんな事が一気に頭の中に溢れて
収拾がつかず、医師の説明に受け答えしようとするのが精一杯でした。泣きこそしませんでしたが、目に涙が溢れていました。
医師から聞いてもないのに、今は医学が進んで死ぬ病気ではなくなっている事や、治療費も援助されるから心配するなと何度も念を押されました。
誰にも云わなくてもいい病気だから仕事も続けなさい。とも。
医師が必死に説得する姿勢はHIVみたいな病気にかかってしまった人間にとっては勿体無いと思えるほどのものでした。告知後に病室で自殺でもされたら病院的に困るから言ってんだろうという失礼な考えもよぎったが、今思うとその医師の姿勢に救われていたのだと思う。
もうどうしたらいいかの判断なんてできるはずもなく、病室のベッドに戻りました。三角座り。何もきめられないまま、ただただ過ぎて行く時間がたまらなく恐怖でした。
恐怖の中で、
人間誰でも終わりが来る。
それが遅いか早いかだ。
きっと僕には来るべきときが来たんだろう。
くだらない人生だった。
自分が悪いんだ、受け入れるしかないな。
結局人に迷惑かけてばかりだったな。
強烈な疲労感に襲われながら、僕はそう思う事で事実を受け入れようとしていました。そしてそれはすぐに、消えていく時を自分の手で早めるかどうかという思考に行き着いていました。
ただ、最低限やっておかなくちゃと思い、相方に感染の可能性がある事を知らせたくてメールで告白しました。
正直時期から考えるに今の相方から感染した可能性はないと思っています。ですが、僕を非難する事もなく、自分にも感染の可能性があるにもかかわらず、これからは一緒に生きていこうと言われました。
まだ生きたいと思いました。
気づけば消灯時間になり、気をきかせて医師が持ってきてくれた睡眠導入剤で眠っていました。
入院二日目の話。

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「血液検査をしたところ、HIVという病気が陽性という結果がでました。」
PCの画面を見せられながら、医師にそう言われました。
目の前が真っ暗になり、その直後のやりとりはほとんど覚えていません。ただ陽性を知らされたときの上記の言葉だけは一言一句、鮮明に覚えています。告知からしばらくたった今でも、目をつぶれば告知のときの光景が目の奥にハッキリとよみがえります。
重大な事を伝える時の重い空気、
こちらを見つめる医師の目、
蛍光灯の形、
目の前が霞んでいくような感覚‥。
呼吸困難を起こして肺炎と診断され、入院した翌日の事でした。
肺炎はHIVによる免疫力不全が原因で発症する肺炎でした。
つまり、僕はHIV感染の事実を知らされたとともに、エイズを発症してしまっていたのです。いわゆるいきなりエイズさんです。
HIVという病気は血液中の免疫細胞がウィルスに破壊されていき、免疫細胞の数が減ってくると健康な人がかからないような、さまざまな感染症にかかってしまいます。これら免疫不全による各種病気を発病した状態をエイズといいます。
エイズ発症前に抗ウィルス剤を投与できれば、発症せずにすむ可能性があります。なので、発症前に感染を知るのと知らないのでは大きな違いがあるのです。
ショックとか、もう頭のなかにある言葉だけでは表現できない感覚でした。
あぁ、もう人生終わった。
仕事は?
家族は?
相方は?
お金は?
死ぬの?
いろんな事が一気に頭の中に溢れて
収拾がつかず、医師の説明に受け答えしようとするのが精一杯でした。泣きこそしませんでしたが、目に涙が溢れていました。
医師から聞いてもないのに、今は医学が進んで死ぬ病気ではなくなっている事や、治療費も援助されるから心配するなと何度も念を押されました。
誰にも云わなくてもいい病気だから仕事も続けなさい。とも。
医師が必死に説得する姿勢はHIVみたいな病気にかかってしまった人間にとっては勿体無いと思えるほどのものでした。告知後に病室で自殺でもされたら病院的に困るから言ってんだろうという失礼な考えもよぎったが、今思うとその医師の姿勢に救われていたのだと思う。
もうどうしたらいいかの判断なんてできるはずもなく、病室のベッドに戻りました。三角座り。何もきめられないまま、ただただ過ぎて行く時間がたまらなく恐怖でした。
恐怖の中で、
人間誰でも終わりが来る。
それが遅いか早いかだ。
きっと僕には来るべきときが来たんだろう。
くだらない人生だった。
自分が悪いんだ、受け入れるしかないな。
結局人に迷惑かけてばかりだったな。
強烈な疲労感に襲われながら、僕はそう思う事で事実を受け入れようとしていました。そしてそれはすぐに、消えていく時を自分の手で早めるかどうかという思考に行き着いていました。
ただ、最低限やっておかなくちゃと思い、相方に感染の可能性がある事を知らせたくてメールで告白しました。
正直時期から考えるに今の相方から感染した可能性はないと思っています。ですが、僕を非難する事もなく、自分にも感染の可能性があるにもかかわらず、これからは一緒に生きていこうと言われました。
まだ生きたいと思いました。
気づけば消灯時間になり、気をきかせて医師が持ってきてくれた睡眠導入剤で眠っていました。
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