スピカ田中領のドラム三昧-国盗り

ついに読み終わりました。

国盗り物語 / 司馬遼太郎

思えばネット上で目にした、

 「国主になりたいものだ」と乞食はつぶやいた。
  ひとがきけば狂人とおもうだろう。
  が、乞食は大まじめである。
  事実、この夜のつぶやきは、
  日本史が永久に記憶しなければならなくなった。

という一文に至極惹き付けられ、実家の本棚にこの本を発見してから、どの位の月日が経っただろう。

昔は電車移動の際に正直暇つぶしも兼ねて、本を読む事が多かったが、最近は電車で移動しても昔程長距離ではないし、iPodなる近代的遊び道具を手に入れてしまったが為に、すっかり読書から遠のいてしまっている。

なので読み始めたこの本も途中かなりの休止期間があったりで、本当に数年がかりでの読破となってしまった。

内容はというと前編後編に別れており、時代の流れは一貫しているがそれぞれ主人公自体違う。前編は斎藤道三,後編は織田信長と明智光秀である。

実際目にしてからあまり時が経っていないからかもしれないが、後編終盤ののクライマックスシーンが特に印象的であった。

信長のあまりに独裁的な天下統一への進め方に、その采配能力を認めつつも我慢できなくなった光秀が謀反を決意し、その心うちをそっと懇意の連歌師に打ち明けるシーン。今にも天下をその手中に収めようかとしている信長に対する謀反、このような天下の一大事、おいそれと普通に打ち明けたりはしない。いや、できない。

そこで光秀は、連歌の席を設け発句を提示した、

 時は今 天が下しる五月哉
 (ときはいま あめがくだしるさつきかな)

これは普通に解釈すると五月の雨が降っているなあという事、(僕もこの手の専門家ではないので深くはわかりませんが・・・)なのかと思いきや、

明智氏はもとは美濃の土岐(とき)源氏のお家柄,
「時は今」とは「土岐は今」、
「天が下しる」とは「天下を治(し)る」の意味で、
要は明智家が天下を治める=信長を討つという真意が込められているとのこと。

普通に語り伝える事なく、歌に込めて真意を伝える風流さ。歴史物なのでどこまで現実かは定かではないが、こういう場面には思わず感銘を受けてしまう。

ジャパレゲの韻の踏み方やこういった和歌の世界に心揺り動かされるのは、ひょっとすると、もともとのダジャレ好きも関係しているのだろうか。

いずれにせよ読み終えて改めて司馬先生の文章の魅力に取り付かれております。さて、次は何を読もうか。