僕が39才のとき
青年会議所の医療部会では
「タイ・カンボジア国境の避難民救済の医療団を派遣しよう」とみんなでボランティアを決議した

当時
高須クリニックの仕事が忙しくて
参加出来なかった


西原理恵子はカンボジアに詳しい

いま
カンボジアに一緒に来てる


大半の地雷は処理されたが犠牲者は沢山いる


障害者の演奏


草笛が哀愁がこもって
心をうつ











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