|
みなさん今日は、今回は『本能寺の謎篇』 明智光秀のクーデターの真相から始めましょう。 http://blogs.yahoo.co.jp/dqgcf537/2655467.html?type=folderlist
(◕‿◕)「みなさんこんにちは、名探偵なっちです」 普通そういう事は自分では言わないものだがなぁ。
(◕‿◕)「いいじゃない、これからは自己アピールの時代よ」 ああ分かった分かった、今回も厄介だな…
(◕‿◕)「何か言った?」
いや、何でもない、それじゃあ始めようか。 ええと、今回は明智光秀が織田信長を京都の本能寺 に襲った有名な「本能寺の変」だね。
これは日本史上でも有数の大事件としてよく取り上げ られているね。
(◕‿◕)「信長の才能にあこがれて家来になった光秀が 天下統一の目前に何故信長を裏切ったのかが 最大の謎だったわね」
そういう意味では光秀と秀吉は似た境遇にあったと 言えるね、二人とも出身ははっきりとは分かっていない 底辺から自分の才能で這い上がってきた人間だ。
信長の前にも何人もの主君に仕えているが、どれも 二人の持つ新しい時代の感覚を満足させられなかった
古い体制に縛られた武将達に幻滅していた二人の前 に彗星のように登場したのが「尾張のうつけ」織田信長 だった訳だね。
(◕‿◕)「庶民の感覚を肌で感じる為にわざと殿様らしからぬ 格好をして常識破りの行動を繰り返してたのね。
織田の一族からは恥さらしのように言われてたけど 自分の国の庶民からは慕われてたのよね」
そうだね、これが後々の信長最大の危機、今川義元との 「桶狭間の戦い」で活きてくるんだね。
織田軍4000の兵力に対して今川軍は25000だ、とても 勝ち目が無いという事で織田家の重臣達もあきらめモード だったのが信長一人が強気で出撃して両軍の本隊同士が 正面激突して義元が討ち取られるという大逆転になった訳 だね。
当時の織田の領民が裏切りもせず信長に従ったというのは 普段からの信長との結びつきの強さを物語ってるね。
(◕‿◕)「この戦いの大逆転で信長は一躍戦国のヒーローに なるのね、光秀が信長の才能に惚れ込んだのはこの 辺からじゃなかったのかしら」
そうだろうね、甲子園に何度も出てる強豪校が名も無い 地方校に大逆転負けを喰らったんだから全国の話題を さらった事だろうね。
自分の才能に自信のある若手の侍は是非信長のところ で働きたいと思ったんじゃないかな。
(◕‿◕)「その代表格が光秀だったわけね」
うん、その後光秀と秀吉は織田家の中で熾烈な出世競争 をしていくね、その間に先輩達はどんどん追い抜かれて 織田家の中では家柄や旧来の序列より実力第一という 空気が満ちていたんじゃないかな。
まあ中小企業が大躍進する時にはこういう状態にはなる ものだから織田家だけが特別とは思わないけど信長という 人は超がつくほどの独断専行だったんだね。
突っ走っていった訳だよ。これで天下統一の直前までたどり 着いたんだからやはりその才能は本物だったと言えるだろうね。
(◕‿◕)「織田家の中で秀吉と実力NO.1を争うようになった 光秀が何故信長を襲う決心をしたのかは信長に将棋 の駒のように使い捨てられていく重臣達を見て危機感 を持った事、 秀吉の援軍を命じられて岡山に出動する時点で信長 が少人数で京都にやってくるのが分かった事、つまり 千載一遇のチャンスが目の前に突前現れたという事 だったわね。 でもそれは同じ思いを抱いていた秀吉サイド、黒田 官兵衛が巧妙に仕掛けた心理戦の罠だったのね」
正に黒田官兵衛こそ戦国最大のフィクサーだった訳だね、 秀吉の天下取りに最大の障害である信長を最大のライバル 光秀を罠にはめる事で取り除いたんだ。 これは日本史上最大の一石二鳥と言えるね。
(◕‿◕)「そうね、今でも官兵衛フィクサー説っていうのはメジャー になってないんだけどそれこそ官兵衛の思うツボだった わけよね」
ああ、正に闇のフィクサーの面目躍如というところだね、これで 淀さんや石田三成に豊臣家の実権が移っていなかったとしたら 果たして、徳川幕府は成立していたかどうか分からない訳だよ。
関が原の戦いで家康が大勝して天下を握った後、福岡城に隠居 した官兵衛の脳裏にはどんな思いが浮かんでいたんだろうな。
(◕‿◕)「ありゃードクター、昔の歴史家みたいよ。久しぶり にカッコイイ!」
久しぶりは余計だろ(笑)まあ歴史にifは禁物なんだけど 「もしもあの時」っていう思いは誰にもあるね。そこにこそ 歴史ロマンが生まれる訳だよ。
(◕‿◕)「うん、歴史ロマンの旅か、何だか続きが楽しみに なってきたわ(笑)」 だね。 http://blogs.yahoo.co.jp/dqgcf537/2875661.html?type=folderlist
(◕‿◕)「これは初めて長編になったドクターの力作だったわね」
(◕‿◕)「えっ、どうして?有名なネタなのに」
そこが問題なんだよ、邪馬台国といえばもう何百年っていう 研究の歴史があって、それが何処にあったのかという候補地 も既に出尽くしている状態なんだね。
今更新説を持ち出す材料もなくて、これまでの説のどれかに 落ち着かざるを得ないんだよ、という事はそこにたどり着く為 単に従来の説を紹介するだけになってしまうんだね。
(◕‿◕)「そうか、推理のしどころが問題なわけね、でも私たちの 邪馬台国への旅には心強い道標があったのよね」
そうだね、なっちの尊敬する高木彬光さんの『邪馬台国の秘密』 だね、高木さんは邪馬台国を大分県宇佐市周辺としているん だけど、この説は九州説でも主流派ではないんだね。
(◕‿◕)「うん、でも邪馬台国研究の根本になる魏志倭人伝では 邪馬台国の東に海があってそこを渡るとまた倭人の国 があるってなってるから九州説でも大和説でも東海岸に
だからほとんどの説がこの部分を無視してるってことに なるんだけど、それも問題になってないのよね」
そうなんだ、九州説でも主流は北九州になるんだが人気が あるのは福岡県なんだね。
これは朝鮮半島から対馬、壱岐、松浦半島上陸というふうに 進んできたら博多から内陸部に進んだ甘木市や山門郡周辺 にたどり着くという事になるんだけど佐賀県の吉野ヶ里遺跡 なんかが発見されて以来益々注目されてるんだね。
但し高木さんはこの説を取らずに壱岐からの九州への上陸 地点を福岡県の宗像市にしたんだね、これは壱岐から末盧國 (まつろこく)へ海を1000里という記述に従って通説の松浦 半島ではなく宗像に上陸した為に末盧國の位置がずれたん だけど、お陰で邪馬台国が東海岸の宇佐市周辺になった訳だね。
(◕‿◕)「そうね、魏志倭人伝を素直に読んでたどり着いた結果 だと思うんだけど他の人達は通説の松浦半島上陸に どうしても引きずられるんでしょうね。
その点、小島敦夫さんの『朝鮮通信使の海へ』はとっても 参考になったわね」
そうだね、朝鮮通信使という江戸時代を通じて12回も日本に やって来た外交使節団の朝鮮半島南岸から対馬、壱岐、博多 沖を経由して下関に向かう帆船の航路が確認出来たんだね。 やはり高木さんが推理したように対馬海流に乗って北九州に 上陸するのは壱岐を出て博多から宗像までが一番自然な コースだったんだ。
それで東海岸に出られるコースが宗像上陸になる訳だから 魏使達はここを通っただろう、という事がほぼ証明されたと 言えるんだね。 宇佐までたどり着いたということね。 ここには全国の八幡宮(はちまんぐう)の総本社である 宇佐神宮があって、そこにお祭りされている比売大神 (ひめのおおかみ)が伝説の女王卑弥呼だと考えられた わけよね。
その後、卑弥呼の死によって邪馬台国連合は内乱状態 になって一部の勢力は大和へ向かったのね」
ああ、高木さんの推定ではそれが第10代目の崇神(すじん) 天皇になったんだね、以降大和朝廷による全国統一が本格化 して東北から九州に至る統一国家が出来上がっていくんだ。
それで九州の元の邪馬台国も大和朝廷の勢力下に入るんだ けれども、ちゃんと宇佐の地には宇佐神宮が造られて聖地と され近畿地方の同じ位置にあたる伊勢には新たに伊勢神宮が 造られて北九州勢力の近畿地方への移動が完結する訳だね。
今回の推理で魏使の宗像上陸説が補完出来て良かったね。 (◕‿◕)「うん、高木先生も喜んでくれてると嬉しいな」 (◕‿◕)「そうね、名推理は少しお休みして歴史上のヒーローに ついて考えてみたのよ」
(◕‿◕)「力道山とか月光仮面?」
(◕‿◕)「それでは次回をお楽しみにー(笑)」
YOU!! つづく |