前回の話の続きで思ったこと。
ただ、私は知ってることを答えるだけである。しかし、その女性にとっては学習になるらしい。その女性は病院でPSWをしていたという。話を聞くのがなかなか上手な人だとは印象にある。一定の話を聞くトレーニングなり実践をしていると、そういうのは上達していく。通常はそうだ。しかし、そういうのがまったく、上達しない人もいるのも事実ではある。私は話しながらも相手と自分の心の状態の動きをついみてしまう(みるといっても、感じるほうであり、実際はどうかわからない)。表面的な交流だけでなく、実際になにがおきているのかをみていくという癖がある。「いろいろとご存じで詳しいですね」といわれると、はっとなる、これは病院にかかるときもそうだし、ある一定の分野の人にもいわれることがある。しかし、自分の知識をひけらかしてはいけない、というか、あんまり言っても仕方ないというか、体験的な言葉は響くだろう。知識とは体験と伴っていれば相手の心にも響くものだし、知識だけの話はつまらないものになる。相手にとって有益な情報ならそれはメリットがあるということだと思う。相手に負担がなくそれがつたえられるならだけど。過剰な知識は相手にとって処理不可能になるからだ。前から思ってたことは、いかに専門用語をつかわずに、わかりやすい言葉で相手に伝えるかということだった。
それと最近というか、前から思うことは。汎用性のあるスキルと非汎用性のあるスキルについて思うことがある。汎用性のあるスキルは当然のことながらマニュアルがあればだれでもできる汎用性があるスキルになる。非汎用性のスキルというのは、その人しかできないオリジナリティのあるスキルとなる。この場合、競合がすくなくなり、なにかに特化することになる。私の場合、汎用性のあるスキルと非汎用性のスキルを磨きたいとつねに思う。
それと最近というか、前から思うことは。汎用性のあるスキルと非汎用性のあるスキルについて思うことがある。汎用性のあるスキルは当然のことながらマニュアルがあればだれでもできる汎用性があるスキルになる。非汎用性のスキルというのは、その人しかできないオリジナリティのあるスキルとなる。この場合、競合がすくなくなり、なにかに特化することになる。私の場合、汎用性のあるスキルと非汎用性のスキルを磨きたいとつねに思う。
