追悼3年 | マリーのブログ

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夫婦共通の趣味である油絵の作品と、
日常を掲載しています。

今日は母の命日です。母が逝って3年、早いものです。

母を失くして一年間は普通に生活していても、母の最期の一週間が鮮明に残っていてあの時間へ引き戻されていました。

母が苦しんだ一部始終です。母が死へ向かう体の変化の全てです。そして終わりは火葬され粉々になった骨。たまらない…苦しい日々。

私達親子の絆は深く、たとえ亡くなったとしても何かを感じれるのだろう。と思っていたのに…私の想いは一方通行で迷子の子供のように母を探していた。しかし、いくら願っても想いを交わすことができず、死んでいなくなるというのはこういう事なのだと…傍にいないような気がする。遠くに行ってしまったような気がする。私が何より悲しかったのは母を感じれないことでした。

 

亡くなって半年後、やっと母の夢を見た。母はまだ病人で私が母を背負って田んぼのあぜ道を歩いている夢。

途中、道が途切れて先へは進めず…ふと下を見ると頼りない梯子があって下の道へと行けそうだけれど、母をどうやって降ろせばいいのかと…あれこれ考えてたら目が覚めた。母は何も語ってはくれなかったけれど、母の柔らかな感触だけが残っていた。

 

二度目に夢に出てきた母は少し元気になっていてパーティ会場で円卓に座っていた母を見つけて「飲み物何がいい?」と聞いている私。

もう病人として気遣うわけではなく、高齢者への気遣いでした。

 

亡くなって1年後、これは不思議だけれど…会いに来てくれた。

夜中、両肩を上から抑えられるような重みを感じて…母だとすぐわかりました。優しい母の姿。

母に抱きしめられて私も抱きしめて傍にいるように感じた。やっと会えた。とても会いたかった。お互いの気持ちは同じでした。

こんな柔らかな光の中、母の愛に包まれて…とても倖せでした。

何と表現したらよいのか…満たされました。

きっと、私が死ぬ時には又、こんな風に迎えに来てくれる。

これを機に、少し気持ちが楽になって母を思う時も病気の姿だけではなく、笑っていた顔も思い出すようになってきた。

母のことも今は近くに感じています。常に一緒にいる感じ。だから何があっても大丈夫。とデンと構えられています。

 

何だか霧がかかったようで進みにくかった生活も、少し晴れて進みやすくなった。

私も気が付けば来年は60歳還暦です。せっかく繋いでくれた命ですから、残りは丁寧に生きておしまいにしましょう。

 

母か亡くなった年の喪中用のハガキ(父用と我が家用)