7月27日、母が逝く。享年81歳 愛に溢れた人でした。
最期の瞬間まで母の顔に触れ、体に触れ、声をかけていました。
「愛しているよ」…と、「ありがとうね」…と、「また私を生んでね」…と、母には聞こえていたでしょうか?
呼吸の回数が減っていき、長く息が途切れた後に大きく息をして、静かに眠りについたようでした。
自宅ですから、心電図のモニターを見ながら確認するわけではないので、実際には亡くなった後も
しばらくは皆、声をかけ続けていたのだと思います。
家族の後ろに控えてくれていた医師と看護士は、こちらが母の死を納得して、「先生、もう駄目みたい。
お願いします」…と、声をかけるまで見守っていてくれました。
母と家族の最期の時間を作っていただきありがとうございました。
優しい母にふさわしい穏やかな顔でした。
遺影は、昨年の正月に家族で撮った写真。家族に囲まれ楽しそうな母の普段の笑顔です。
在宅療養で看取ることを目標にやってきましたが、亡くなる前一週間と後はとても辛かった。
徐々に進行していく病は、亡くなる一週間前には体に痛みが襲い、母の生きる力を奪っていった。
痛みは薬で抑えることができたが、食事が取れなくなってしまった。
脳症も加わり意識が曖昧になってからは意思の疎通が図れず。私の言葉は届いていたか?
母はもう死線を彷徨い逝くことを臨んでいたようでした。
死の瞬間まで、毎日母の体に触れ共に過ごしてきた日々。棺に眠っている母には、もう何もしてあげることはないのか…という焦燥感。精根尽き果てた感じでした。
自宅で看取れてよかった。と思える気持ちにはほど遠く、母と接した時間が長く深かっただけに、全てのことが思い出されて、かえって母を失った悲しみは重たく深くて…。
母の柔らかな体の感触も、爪の形も、優しい瞳も、苦しい顔も…全て鮮明に記憶に残っている。
「死にたい」、「死なせて」と私に訴えていた母の声がまだ聞こえてきます。
しばらくは、母を追い求める日々。あれほど深い絆で結ばれていたのだから何か伝えてくれるだろうと
願う日々。それなのに何も感じることが出来ずに…もう届かないところに消えてしまった。
なんだか気力が湧かなくて…靄がかかったようでした。
その後はイライラが募ってきて、気が立ってきた。なるべく周りに伝わらないようにと自制する。
最近、やっと、落ち着いてきた。
母が亡くなったことを、やっとこのブログにも掲載できるようになりました。
少しづつ以前の生活に戻していこうと思います。