常識は間違っていることもある | drotdiccodi1981のブログ

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今より、より良い人生を送るために常に念頭において意識しておきたいことがありますそれは・・今、自分が真実で正しいと思っていることは間違っている可能性があるということです。そのことは、過去や歴史を振り返ってみれば解るのではないでしょうか。常識は常に覆(くつがえ)されていっています。地球が平らだと信じられていた時代に 地球が丸いと言った人は気違い扱いを受けたでしょう。私達は過去の歴史を振り返って・・今から思えばあの出来事は間違っていたと判断しています。あの頃は 今では考えられないようなことが常識だったんだな、と思ったりします。例えば、過去の奴隷解放運動。その時代には 奴隷解放を唱える人と奴隷解放に反対する人がいました。今の私は奴隷解放に賛成する側です。けれど、もしその時代に生きていたとしたら、どちら側の人間であったでしょうか。このことを私はよく考えます。私はどちら側の人間であっただろうか・・・と。生まれた時から奴隷が存在することが当たり前だった時代です。父親も母親も奴隷が間違った制度だなんて教えてくれません。無垢な子供は両親の言葉を疑ったりしないと思います。そして奴隷が存在することで恩恵を受けていたとしたら・・・。はたして、どちら側の思想であったでしょうか?私は 奴隷解放を唱える側にあったでしょうか?同じ事が・・・今現在問われています。私はどちら側にいるのでしょうか?未来からみて、間違っている常識が、きっと沢山 周りに溢れています。生まれてからインプットされてしまった固定概念を外して、未来からの視点で物事を捉えることが出来るのか・・。古い認識を守ろうとする側と新しい認識を持ち時代を変えようとする側とどちらでいたいのか・・。私は 人として 正しい判断を出来るようになりたいと思うのです。人が・・正しいと思われる情報を受け入れようとしないのは何故なのでしょうか?むしろ 真実に近ければ近い情報ほど 伝わらないのは何故なのでしょうか?どうやら、新しい考えや意見というものは たとえ真実であったとしてもすぐには 常識にはならないみたいです。新しい説は 受け入れられるまでには何段階かの段階を踏むと聞いたことがあります。まず 新しい考えは 仮説として打ち出されその時代の利益に反する場合には その説により不利益をこうむる人々から奇説・愚説、呼ばわりをされだんだんと証拠が集まったり、科学的に実証され、反論出来なくなった状態で 通説となりその説が一般大衆にも広まり、信じる人々が多くなった場合に やっと常識となる。こう考えると 真実に近い情報ほど拒絶されるのは その情報によって、不利益をこうむる人々が沢山いるからなのですね。私自身 自分が本当だと信じている情報でも 伝えられない時があります。例えば 白砂糖の害。白砂糖は 血液の粘性を増し 血糖値を急激にあげ 体に吸収される際には体からビタミンとカルシウムを奪い・・・・と知った実害を挙げていけば きりがないくらいだけれど、例えば、夢を持ち ケーキ屋をオープンしたばかりの人には 話したくないと思っている自分自身がいるのです。町中に 白砂糖を使用したお菓子が出回っていて、多くの人々は それを食べることに快を感じています。白砂糖の話は そんな人々には 快を奪う不利益な話であり不快だと思うでしょう。白砂糖を原料として使用しているメーカーには 不利益な説に他ならない・・。本当かどうか検討する以前に不利益なのです。私は 商売を邪魔したいわけでも 楽しみ・喜びを奪いたいわけでもありません。ただ、人々は健康を望んでいるから 伝えて健康になって欲しいと思っただけでした。そして 病院! 病院での矛盾した情景。病気のお見舞いにお菓子やケーキ、アイスクリーム、弱った体に白砂糖を入れるだなんて回復を遅らせる行為に私の目には映ります。でも 持っていった人は 回復を願っている、病人を喜ばせたいと思っているのです。そして 白砂糖の体への影響を知らない病人も 喜んで受け取って食べていたりする。この逆さまな状態をなんと表現すればいいのか・・人々の善意が 「知らない」ということで 想い((治って欲しい)と 逆のこと(悪化させる)を生み出していっています。今までに聞いたことのない話を聞いたとき不快感を覚えるのは 大なり小なり 不利益なことがあるからだと思います。本当か嘘かを判定しようとすれば 情報を集めなければならないかもしれないし労力を要します。思考を働かすことすら 面倒に感じることもあるだろうし真実だと思ってしまった日には 自分の生活習慣や何かを変える必要性が出てくるかもしれません。なにより 今までの自分が間違っていたことを認めなければなりません。新しい考えというものは 求めていない時には 厄介事でしかないのかもしれません。けれども 本当のことを知らない限り 人の苦しみは終わらない気がします。本当の事を知るために・・新しい説を聞いた時には常識は間違っていることもある ということを思い出し不快感を押しのけて 検討してみる。そして 自分で判断できない時には 否定も肯定もしないで情報のひとつとして保留にしておく。時間が経ち、更なる情報が入って来た時には先入感を持たずに再検討をしてみる。 先入感がなければ 正しい判断に近づける。未来から見たときに 私はどちら側の人間でいられるか・・・。常識は常に変化していくものだと覚えておきたいと思っています こころのカラクリ  ...