マウントされる女やめる大学 -63ページ目

マウントされる女やめる大学

どんなに自己肯定感が低くても
熱量集中心理カウンセラー☆マリチャンヌ学長が
あなたの人生を文明開化!
人生の照明を当ててみせます!

「こうあるべきだ、強め」から

「そんな自分をゆるしてお金持ち*」

 

 

優雅な星へ導く

お手伝い心理カウンセラー・

マリチャンヌです。

 

 

 

わたしは現在

心理カウンセリングを通して

心の混線を一緒にほぐす、お手伝いという

お仕事をさせていただいています。

 

 

 

 

お客様のお話を聞いていると

このようなご相談をされることがあります。

 

 

 

 

〜こうあるべき、が理想なのに

 

どうしてこんなにわたしは

「こう」じゃないんだろう?

 

 

もっとこうあるべきなのに・・

 

恵まれている、と言われる面があっても

 

気のないものは受け取れないよ。

 

 

それよりも、みんなみたいになりたい・・

 

いつも手が届かない。

 

 

「ああ・・幸せになりたいなぁ・・」

 

 

 

 

わたしも考え方のベースは

そちら側しかなかったので

 

「そうなんだなぁ・・」と

心でうなづきながら

お話を聞くことが大半です。

 

 

そして、そんな気持ちになる時こそ

それは「サイン」なんだよーと、

今は思っています。

 

 

 

今日は「わざと崩してまで役目を全うしたかった時」

について書いていきたいと思います。

 

よろしければ最後まで

お付き合いいただけると幸いです。

 

 

 

二十代の頃

 

他者と関わる=最後には排除される=傷つく

・・という方程式が

常識になっていたわたしは

 

 

ファッション雑誌が友達でした。

 

 

 

世の中の流行から

置き去りにされたくない思いもありました。

 

 

 

気に入っている号はなかなか捨てられず

本棚の背中は重さに耐えられず

破損するほど溜まっていくため

 

時々、腹を決め、断捨離も兼ねて

スクラップブックを作っていました。

 

 

それは、今見ても

自分の好みが凝縮されたものです。

 

 

貼り付けた中に、綺麗に塗られた

えんじ色のネイルの写真がありました。

 

完璧な爪の形。

 

 

 

わたしも真似して整えてみましたが

10本の爪が、そのとおりにはなりません。

 

 

 

なぜなら、わたしは感情が抑えきれなくなると

爪を噛む癖があったんです。

 

すっかり幅の広い深爪です。

 

 

 

「こうあるべきなのに、そうならない」

 

 

不本意であれ、子供の頃から癖づいてしまったものは

「三つ子の魂百まで」なんて

ことわざがあるくらい

 

 

『癖というものは、一朝一夕では直らないもの』

 

『自分は、欲しいものは手に入らない』

そんな思い込みがありました。

 

人生に絶望していた時期のことです。

 

 

 

30代に入り、ゆっくりでしたが

心理学の勉強を通じて

自分との付き合い方を模索するようになり

 

 

形だけではなく、自分が女性であることを

少しずつ受け入れ

嬉しく思い始めた頃には

 

 

深爪なりに整えてセルフで

好きな色を塗るようになりました。

 

大雑把なので、はみ出ることもありますが

 

あの頃みたいに

「それは許せないこと」という気持ちは

すっかりなくなり

ざっくりと楽しんでいました。

 

 

それでもイライラしたり

不安になったり

絶望すると、爪を噛む癖は直りませんでした。

 

 

 

 『ある』の世界に戻ろう。

もうバカなフリはやめよう。

 

 

それは

自分を大事にしていくワークを続けながら

数年経った頃でした。

 

 

観念、理屈ではなく

自分がどこから自分の人生を眺めているか?で

 

全く見える世界は違うのだということに

気づき始めた頃でもあります。

 

 

驚きました。

 

 

自分のネイルを塗られた手が

目に入った時

 

 

そこに何の意味づけも

乗っかっていなかったのです!!!

 

 

まごうことか、

いつかの綺麗なネイルの写真とよく似ているなぁとよぎりました。

 

 

直感で

「ああ、わたしだ。

これが本来のわたしだったんだ・・・」

 

すぐわかりました。

 

 

そして

「ある、はある」

 

形の満足だけの話ではありません。

 

 

 

不足を補う、の世界にいないというのは

同じものを見ても

これだけ解釈が違うということです。

 

 

 

そういえば・・・・母は

理由はわかりませんが

マニキュアをつける手を好まない人でした。

 

 

わたしは憧れながらも

自分の手となると

 

マニキュア=「わたしの手に女性がいる」

という感覚があり

伸びて、整えた爪に違和感を感じていました。

 

 

それを壊すように、

爪を噛んでいた時がありました。

噛んだ後、気持ちは大抵ボロボロでした。

 

 

荒れた家で、思春期を過ごしたわたしは

おしゃれは大好きながらも

わざと大股で歩き、

性別をぼかした態度で振舞っていました。

 

 

わたしは・・・

無意識の無意識に、深爪であり続けることで

「一人の女性であること」を無視し、

「永遠の子役」の座から

降りない選択をしていたのです。

 

 

爪を噛むことで「あるべき姿になれない自分」というより

「還りたいのに捨てられない自分」を

大きく責めてもいたんですね。

 

 

今なら思います。

 

かわいいわたしにリボンをかけてあげよう。

 

かわいいわたしの横で話を聞いてあげよう。

 

 

 

ささやかな幸せが

満ちていくことで

自分を創っていくのかもしれない。

 

 

自分を生きるって、そういうことかもな?と

今のわたしは思っています。

 

 

三つ子の魂百まで、は、受け止め方によって

人生は変わっていくお話

 

メルマガに書いていますので

よかったらご登録くださいね。

 

メルマガ登録はこちらへ(無料)