大人の不登校どんとこい!
『マウントされる女やめる大学』
マリチャンヌ学長こと、もりわきまりこです。
カウンセリングのご相談の場では
ご本人が汚い気持ちと思われている気持ちも
そのまま吐き出してもらうようお願いしています。
「不幸そうだった他人が自分より幸せそうな姿を見るのが嫌」
という本音がポロッと出ることがあります。
本音が出た!よかったね*
言えること自体、あなたの「ゆるめる力」が動いているというもの。
置いていかれる寂しさが出るのでしょうか?と
お聞きすると
「悔しさ」の方が強いんです・・とのこと。
もしかしたら、それは、最初から友達ではなかったのかもしれません。
あなたも、誰かも、ハッピーなまま
仲良くなっていいんですよ。
かつてのわたしは、友達に不自由したことはありませんでした。
軽く、明るい話が好きで、
そのためには自分を貶めてでも
場が盛り上がることを優先する子供でした。
家が殺伐としていたので
そこで得られない温かいものを、
社会の中で得たかったんですね。
しかし、どこにいても
ネガティブな気持ちになることは避けて回りたい気持ちを持っていました。
周りは、いつのまにか
楽しいだけで深い話を嫌う
信頼関係が築けない人ばかり。
違和感は常に感じていました。
心の棚卸しをしたいと心理の勉強をするようになり
記憶というのは、いい加減なものだと知りました。
同じ場所で同じ体験をしていても、
脳は、自分の都合のいいように作り変えて記憶するおバカさんなところがあります。
あの頃、わたしは「明るい話が好き」と思い込んでいましたが
その実は、他人の不足や揚げ足ばかりを取り
それを楽しげに脚色して話していただけだったんです。
当然それを楽しいと思う人たちは、
ある意味同類でした。
意見が同じである限り「お友達」だけど、
自分と意見が合わない、または
自分よりしあわせだったり、優遇される状態だったら不機嫌になる。
どこかで見た図だな?と思ったら
わたしの家そのものではないですか・・
その世界しか知らなかったので、
それから40代中盤まで
そこに戻ることが正しいことだと粘り続けていました。
「いつも、一緒一緒!」
物事は常に両面あって一つです。
「みんななかよし」/「出し抜かないでね」
わたしにとってこの世の全てだと思っていた世界は、
マウントしあう依存的な世界だったんだ・・
気がつくとうんと悲しい気持ちが溢れ出てきました。
そして、ここにしがみつくことで、
わたしは自分の本音という存在を
丸ごと無視して生きてきたことにも気がつきました。
それしか知らなかったのだから仕方はない
自分なりに安心が欲しかっただけ。
責めることはやめ
一つずつ丁寧に自分と付き合っていく暮らしに変えていきました。
前提が変わると、人間関係も変わります。
本当に会ってみたい人にだけ
声をかける付き合い方に変わりました。
もちろん、お話しして見ないとわからないので
思った人と違うこともあります。
今のわたしは、交友関係は広くはありません。
しかし、かけがえのない自分を大事にされている
尊敬できる人が数人いる事実を誇りに思っています。
『自分より不幸そうな人を探してきて傷の舐め合いはしない』
ただ、決めるだけでいい。
それは「自分はしあわせを生きる」という覚悟をすることでもあるんです。
あなたの意思一つで出来ること。
こちらでお手伝いしています。

