今回は『太陽の法』第6章2節「執着を断て」より、「仏を信じない自分」について学びます。私たちはなぜ、仏を信じない「偽物の自分」が出てくるのでしょうか?
1. 仏を信じられない理由
人々が仏を信じていない理由の一つとして、私たちは偶然に男女の結合の結果として生まれ、個別の存在として生きていると考えがちです。この考え方は、私たちが仏の存在や仏が創ったこの世界を信じることの障壁となっています。
また、「仏の救済など信じられない」という方も少なくないでしょう。そのような疑問を抱える方々は、「信じろと言うのであれば、証拠を出してみせてください」と求めることが多いです。しかし、私たち人間が地球の誕生以前からの仏の存在を証明することは難しいのです。
2. 仏の存在を疑う私たち
私たちが仏を疑うこと、そして仏の存在を裁こうとするその気持ちは、実は自分が偉いと考えているからかもしれません。しかし、仏の存在に関する証拠を求める方々に対して、大川隆法総裁先生は「その証拠が欲しいなら、死んであの世に行った後、証拠を見せられるでしょう」と語っておられます。ただ、その時には既に手遅れであり、暗闇の中で自分自身の存在さえも確認できなくなるかもしれません。
私たちが日々の中で疑問を感じることは自然なことです。しかし、その疑問や迷いの中で、自らを偉いとし、仏の存在を裁こうとするその姿勢は、私たち自身を迷いの深い暗闇へと誘い込んでしまうかもしれません。
信仰を持つことにより、人は単なる物質的な存在ではなく、大きな宇宙の中の一部としての役割や目的を理解することができるようになります。このような認識は、人生の困難や挑戦の中でも、希望と意味を持つための力強い指針となるのではないでしょうか。