今回は「如心」の悟りという深遠なテーマについてお話しします。私たちが日常で心を磨く中で目指すべき最終的な心の境地、それが「如心」です。このテーマについては大川隆法総裁先生が『太陽の法』第4章4節より様々に教えてくださっています。今回はその教えを元に、「如心」がどういったものなのか、その奥深さに迫ってみたいと思います。

 1. 阿羅漢の境地とその限界

 大川隆法総裁先生によれば、阿羅漢の境地は「仏への確固とした信仰が根づき、この世的な波風に動じない不動心ができ、守護霊の指導を受けて、日々生活をし、そのなかで接する他人の気持ちが見すかすようにわかる段階」です。それは人間として、宗教人としても高い境地だとされています。

 しかしこの阿羅漢の境地には限界があります。大川総裁先生は「阿羅漢の段階とは、まだ、一通りの反省がすんで自分自身の潜在意識層にいる守護霊と交流可能な境地だということにすぎず、光の菩薩たちの心までは十分にわかっていないからです。」と教えています。

 2. 悟りが錆びつかないためには?


 阿羅漢の境地にいると、「心が錆びてきているにもかかわらず、そのことに気がつかないで、自分を『大先生』だと思って悟りすましていると、たいへんなことになってしまいます。」と大川総裁先生は警告しています。

 心の「」がつかないようにするためには、心を常に磨き、防腐剤や錆どめを塗っておくことが大切です。「心に錆というデコボコをつくっておくと、いつなんどき、悪魔がザイルのついたハーケンを打ち込んでくるかわかりません。」と総裁先生は教えています。

 3. 如心の境地とその特徴
本当は怖い仏像の種類と見方・祀り方の間違い・起源と意味
 大川隆法総裁先生によると、阿羅漢よりもさらに高い境地が「如心」です。「如心とは、自らの守護霊以上の霊格をもつ高級霊界の指導を受けられる段階、すなわち、指導霊と霊的交流ができる段階です。」この境地になると、日々の心の中心が「どうすれば世の中の役に立てるか、どうすれば迷える人々を救えるか」といったことに移ってきます。

 「この如心の段階になってくると、心はいつも謙虚で、高ぶることなく、他人に対する奉仕、すなわち、どうすれば世の中の役に立てるか、どうすれば迷える人々を救えるかといったことが、日々、心に去来することの中心となってきます。」と大川隆法総裁先生は述べられています。


4. 如心の更なる奥深さ
観自在菩薩 お釈迦様の変化身 | 高野山真言宗紫雲寺(北九州市八幡西区)
 「如心には、もうひとつの面があります。つまり、観自在に近づいてくると居ながらにして、何百キロも離れている人のことが手にとるようにわかるということです。」と大川隆法総裁先生が述べられています。この段階に到達すると、更に多くの人々を救い、幸せに導くことができるようになります。

 まとめると、「如心」とは究極の心の境地であり、この境地に達することで、更に多くの人々を救い、世界に貢献することができるとされています。大川隆法総裁先生の教えに従い、この境地に達するためには日々の研鑚と修行が不可欠です。ぜひ、一緒に如心の境地を目指し、更なる心の磨きを行っていきましょう!