今回は、前回に引き続き、『太陽の法』第3章8節より、「愛と八正道」の関係につい学びます。前回は、愛と八正道は一見異なるテーマに見えますが、実は密接に関わっていることを学びました。どう密接にかというと、以下のような関係性があると大川総裁先生は指摘されています。

  • 正見、正語は、愛する愛に通じる。
  • 正業、正命は、生かす愛に通じる。
  • 正思、正精進は、許す愛に通じる。
  • 正念、正定は、存在の愛に通じる。
 今回は、前回の続きとして、「正思・正精進」と「許す愛」、「正念・正定」と「存在の愛」に焦点を当てます。

1. 許す愛:正思と正精進の関連性

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 最初に、大川隆法総裁先生が語ってくださる「正思」と「正精進」と「許す愛」の関係についてです。「正思」とは、正しく思うことで、心の三毒や六大煩悩に振り回されず、人間関係を真実な目で見て調整する思いです。この境地に達すると、「心はつねに寛容で、あらゆるものをつつみ込むような、豊かな気持ちになれます。」だからこそ、この境地を磨き上げれば心は自然に、「許す愛」の境地へと高まっていくと教えてくださいます。

 同様に、「正精進」も「仏法真理の獲得のために努力、邁進する」といった境致です。ここで、徳力が倍加されると、心はつねに不動心をたもち、罪ある人をも、清めるだけの力が出てくるのです。

2. 存在の愛:正念と正定の力

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 次に、大川隆法総裁先生は「正念・正定」と「存在の愛」の関係について解説されています。「正念」とは、心を集中させて正しく自分の未来設計を行い、自己実現の姿を祈ることです。この正念により、「その人の存在自体が、世の人々に対する光明であるような人間となる」のです。

 「正定」もまた、「正しい瞑想状態に入ることで、高級諸霊との交流が可能」になります。この状態に到達すると、如来界の大指導霊との交流が可能となります。

 

 「仏と一体の境地、すなわちこれ、如来の境地です。人間として最高の姿、そして、その人の存在自体が、世の人々の尊敬の対象であり、その人の存在自体が、世の人々に対する光明であるような人間となること。それが正しく念じるということであり、正しき人生目標の究極の姿だといえます。」(『太陽の法』)

3. 愛と八正道:四段階の修行

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 大川隆法総裁先生は、愛する愛、生かす愛、許す愛、存在の愛、という「愛の発展段階」は、八正道の「正見・正語→正業・正命→正思・正精進→正念・正定」と四段階にわけて修行することと同様、それぞれの愛も修行と同じように、段階を経て高まっていくと教えてくださっています。

 本設の最後で大川隆法総裁先生が指摘するように、「愛する愛」なくして、「生かす愛」も、「許す愛」も、「存在の愛」もありえないという事実があります。すべては連鎖しており、その順番が重要なのです。

 

 正見・正語なくして、正業・正命なく、また、正思・正精進、正念・正定もありえません。同じように、愛する愛なくして、生かす愛も、許す愛も、存在の愛もありえないのです。いずれにせよ、まず、最初の段階がもっとも大切だということです。(同著)

 

 以上、愛と八正道についての探究でした。みなさんも日々の生活の中で、この愛の段階を意識してみてはいかがでしょうか。