さみしい別れ方をした友達が私には何人かいます。最近、特にその友人たちのことを考えることが多いです。なぜあんなことを言ったのだろうかとか、どうしてあの時にもっと寛大な気持ちになれなかったのだろうかとか、考えるときりがありません。大喧嘩をするわけでもなく、「さようなら」と言うわけでもなく、いつのまにか連絡が帰ってこなくなりました。
原因は私の方にあるのかもれないし、相手の方にあるのかもしれません。どちらかというと私の方にあると思います。どうしても心のバランスが崩れてしまって、今ある関係を断ち切らなくては前に進めないときというのがあるのだと思います。私もその友達もそのようなときに別れざるを得なかったのだと思います。しかしそのようにして別れてしまった人たちは私にとって、本当に内面から通じ合えるような親友だったのだと思います。お互いの選んだ別々の人生を前に進んでいくためには、別れなくてはならなかったのです。そういうときにはいくらつなぎとめようと必死にもがいてもだめです。ただいさぎよくあきらめなくては、そして考えないように、忘れるようにしなくてはならないのだと思います。
イギリスの小説家ヴァージニア・ウルフは、彼女の小説論の中で登場人物それぞれの人生を根底でつながっているトンネルにたとえていたと記憶しています。(テクストが手元にないため、確かめられません。詳細が違っていたら申し訳ございません。)まったく違う次元のなかで違う人間関係のなかで生活していても、その魂はどこかで通じ合えるところがあるのだということです。また小説家の役割は登場人物の人格を丁寧に掘り下げる、すなわちトンネルを丹念に掘り、根底でそれぞれの人生をつなげることなのだと書いていたと思います。小説論ではありますが、彼女のこの考えには大いに慰められます。別れてしまったけれど本当はずっと一緒にいたかった友達とは、根底でつながっていて、それぞれが自分の人生を歩んでいるのだと考えると、私も自分の人生を歩んでいこうという気持ちになってきます。それぞれの状況のなかで精一杯生きていくことでつながっていけるような気がするからです。
人との出会いは、そう考えると、本当に単なる偶然のめぐりあわせなのかもしれません。出会うことでなにかを学んだり、力をもらったり、なにかの事実を知ったり、傷つきながらも自分自身と向かい合うきっかけをもらったり、あるいは大切にされて励まされたりして、いつかはまた時がくれば別れ、また別の人と出会うのかもしれません。「人生は大きな舞台」とは本当によく言ったものです。
そう考えると、どんな人であれ、人との関わりやつながりを大切に、一期一会の精神で接していきたいものだとつくづくと思います。

