私は「どうせ」という言葉が嫌いだ。
「反抗期の子どもに言ってもどうせ聞かない」
「いくら宿題をだしてもどうせやらない」
「どうせ自分から勉強なんてするはずがない」
一緒に授業をしている外国人教師の言葉だ。毎回、子どもが今まで英語で勉強したことを思い出しながら、少しでも分かりやすく学んでいけるようにと、分かって出来ていく達成感を味わってほしいと、宿題をする大切さを感じてほしいと、様々な希望をこめてせっせせっせと宿題をだし、授業をし、私は頑張っている、と思う。それを「どうせ」なんて言葉で片付けて欲しくない。「あなたも一緒に授業をしているのではないか。あなたの責任感や使命感はどこにあるのか」と私は思う。そう思うとちょっぴり孤独で切なくなってくる。
私はあきらめたくない。
すみません。今日は思いのたけを書きたくて、ちょっと愚痴っぽくなりました。