「どうせ」の功罪 | Wrestling Drop

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日々の生活のなかで考えたこと・感じたことを書く日記です。中心的なトピックは、通訳・翻訳や英語教育や英米詩や音楽や時事についてです。

私は「どうせ」という言葉が嫌いだ。


「反抗期の子どもに言ってもどうせ聞かない」


「いくら宿題をだしてもどうせやらない」


「どうせ自分から勉強なんてするはずがない」


一緒に授業をしている外国人教師の言葉だ。毎回、子どもが今まで英語で勉強したことを思い出しながら、少しでも分かりやすく学んでいけるようにと、分かって出来ていく達成感を味わってほしいと、宿題をする大切さを感じてほしいと、様々な希望をこめてせっせせっせと宿題をだし、授業をし、私は頑張っている、と思う。それを「どうせ」なんて言葉で片付けて欲しくない。「あなたも一緒に授業をしているのではないか。あなたの責任感や使命感はどこにあるのか」と私は思う。そう思うとちょっぴり孤独で切なくなってくる。


私はあきらめたくない。


すみません。今日は思いのたけを書きたくて、ちょっと愚痴っぽくなりました。