文学の時代 | Wrestling Drop

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日々の生活のなかで考えたこと・感じたことを書く日記です。中心的なトピックは、通訳・翻訳や英語教育や英米詩や音楽や時事についてです。

 昨日は、ある英米文学研究の学会の年次大会に参加してきました。私の母校で行われたのですが、まず、行って驚いたことは出席人数の少なさです。閑散としてしまっていました。漠然とした不安がよぎります。


 英語教育に熱のあがる時代だといわれています。その一方で、英米文学となると、実用的でなく化石のような言語を取り上げてどうすると重要視されない傾向にあるような気がします。実際に、私が通訳をめざしているそもそもの理由は、文学研究では生活していくことはできない、自分自身の専攻科目が重要視されない状況になげき、続けていきたいと思いつつも、生計をたてるためには時代に順応していかなくてはならないと思ったからでした。しかし、心の底では、実用的な英語を身につけることばかりを追い求めて、文学が重要視されない状況ではいけないと考えています。


 さまざまな文学作品が書かれているが、それらに書かれていることの根源はすべてギリシャ・ローマ神話に書かれつくされていると、私は恩師から学びました。ギリシャ・ローマ神話が人間の本質について描きつくしているからだと理解しています。それを時代に応じた素材を用いて、シェークスピアが書き、キーツが書き、オースティンが書き、エリオットが書き、夏目漱石が書き、村上春樹が書いたのかもしれません。時代や国、文化が違うなかで、それぞれの人がどのような状況におかれ、そこでなにを苦悶し、解決法を見出していったのか、それらの一連の流れを通じて、筆者はなにを伝えようとしているのか、あるいは伝えたくないのかを作品を通じて考えていき、自身の人生や社会について深く洞察していくことにより、生きるということを実感することができるのだと私は考えています。より効率的にコミュニケーションをとったり情報を処理したりしていくことも重要ですが、よく物事や心の働きについて考えることのほうが、私はもっと大切なのではないかと思います。


 しかし効率性とスピードを求める傾向は当分変わることはないでしょう。そこで、消えそうになっている大切なものをいかにして残し、その大切さを伝えるべきか、そのアプローチの仕方が今、真に問われていると思います。