ふーんと思う気づきがあったので
雑記徒然
その昔、わたしの育ったおうちは、荒れてまして
酒が入ると暴れるお父さんが、今日もわめかないよう
子役のフリをして日々、一人スクラムを組む
潤滑油を買って出ていました。
人間関係でも無自覚にその癖は出ます。
誰かの揉め事、不穏な状況、
当事者でもないのに
さりげなくクッション役を買って出て
なーんとなーーく、場を和ませ丸くおさめる。
天才でした。
バカみたい。
今ならそんな、自分にも他人にも失礼なことしたいとは思いません。
なんとキショいことしてたんだ…です。
揉め事は、勝手に当事者同士が揉めてりゃいいんです。
揉めるから見えてくることもあります。
どのタイミングでなのかは、神の味噌汁(じんさん!)ですが…
あの頃は、あれしか手立てがないと思っていたので、しょうがないんですけどね。
嫌なものは嫌!があるのだから、
しょうがないんだけどねーー**
そんな今のわたしが、一周回って
先日開催されたオンラインイベントで、面白いことに遭遇しました。
わたしもスタッフの一人ですが、当日は自分の仕事はほぼないので気楽に見ていました。
何百人の視聴者の前で
1時間、戸惑い、キンチョー、言葉を探しながらもガッツリ喋る登壇者、あたふた裏方
その時その時、精一杯、やれることをやっている
その姿は、ただ尊いんですねぇ
昔と違って、今のわたしは、人はいつ命の終わりが来るのかわからない。
後悔はできる限り少なめに、がモットーなので伝えたい相手には気持ちを伝えるようにしています。
・しみじみほっこりした
・死生観が近いんだなぁ
聴けてよかった
・ありがとう
・気にしてないって
・逆にウケたわー
…
愛あるねぎらい、いたわり、よくがんばったねーーです
心で咲いた言葉をすぐ手渡す、ナマモノです
鮮度大事。
周りのひとも、似た視点の人が多く
起きた出来事にジャッジしないので
出来た、しくじったで捉えていないんですねーーー
今思うと。(心屋塾ですなあ)
かける言葉が、それぞれの感想の応酬なのに
それが連なる時
やさしい場が出来上がっていました。
終了後も余韻が、大きな経験値になっているのがそれぞれの感想やつぶやきから見て取れました。
今時点で自分が何を大切にしているのか?
現実という舞台に、真っ直ぐ反映されます。
そして、価値基準の近い人同士でふんわり押し上げていける
赦し合う気持ちが、場を紡いでいく
わたし、ホンットにこの感じの方々のおかげで狭い視野に風穴開けて来ています
そして、自分が居たい場所もこの世界です。
届けたい世界もね
スタッフが、内輪で読む投稿にも書いたのですが
文化祭だったんです、やってること。
周りのみんなも「それだあーー!」って納得してて、あ、ひともそうだったのか!と
みんなでほっこり^_^
当日も、あれだけ準備したのに
ちょいちょいちょいちょい(いっぱい!)
電波が途切れたり、間違えたり
裏でもパニック状態になってる人がいたり、あってますか間違ってますか病が出てる人もいるはいたが
(ちゃんとしなくちゃの、損したくない病)
それを
「まーいーじゃん」「どんまーーーい」
いいねいいね〜ー!と
笑い飛ばせるタイプのひとも、その数倍いて
(このタイプの人はミスを楽しめるのです)
まあ、ゆるいんですなあーー
だから、終わったあと
あったかーーい、いい時間の記憶として
残ってるんだなぁ
ねぎらいあってね。
わたしは心理塾に入って、出てから
ゼロから人生を生き直していると言っても過言じゃないので
文化祭や、部活で、やり切ったから見える景色があること
プレッシャーと真正面から向き合うことなど、学生がやってそうなことを、この年齢でこの6年の中で一気にやってます
(やり切るも込み)。
それは、嫌な環境に身を置いてがんばるはやめる、というのともつながっています。
多人数だからこそ、それぞれ自分の癖がつい出やすくなります。
わたしも、頼まれていない潤滑油をしない、という里の行!
いい勉強になっています。
人生に無駄な場面はないのです。
さあ、今日もわたしの住む街は快晴です
ゴロゴロすっかーーー
みなさまも素敵な一日でありますように。