隣人は密やかに嗤ふ | ~ 或る阿呆の話 ~ turbo Ver1.03

隣人は密やかに嗤ふ

ナザレのイエスはかつてこう言った。
「汝自身を愛するが如く汝の隣人を愛せよ」と。

特定の宗教・思想に対する信心を僕は今までまったく持ったことはないし、
今現在も尚持ってはいない。

ただただ毎日ビールを飲んでひとりご機嫌に暮らしている。

けれど、こんな酔いどれにでも宗教と信仰には多くの学ぶべき点があるとは思う。
だから酒の勢いを含めても未だかつてそれらに対し否定をした経験は一度としてない。
そう自分では記憶している。確たる証拠は何もないのだが。


しつこいようだが、最近病院にばかり行っている。
うちの母はそんな僕なんかよりももっともっとヘビーユーザーで、
勢い余って入院までするようになった。

病院三昧この上ない。

そんな母が子供のような無邪気な顔で僕にこんな話をした。

 

先日、気分転換に病院のロビーでテレビを見るため、母が病室からロビーに向かうと、
あたり構わず泣きじゃくるひとりの老婆がいた。
彼女が結構な大音声を響かせているので、その理由がどうも気になる。
近くまで行ってその様子を観察してみよう、そう思った。
 どうやら彼女はテレビを見てワンワン声をあげているようだった。
テレビでは多くの死者が出た悲惨な事故の映像が放映されており、
その犠牲となった見ず知らない人達が不憫で仕方がないと老婆は泣いていたのだ。
病院に来る前にも家で散々涙を流してきたというのは、病院仲間の彼女の友人の話。


これは憶測(それも幾分不遜な)以外の何物でもないが、
彼女は「汝自身を愛するが如く汝の隣人を愛した」が故に涙を流したのかもしれない。
が、何ゆえに彼女は滑稽だったのか?
母の話を聞いて僕はちょっと考えた。
欧米人に気味悪がれる”ジャパニーズ スマイル”を習慣的に浮かべながら。


隣人を自分自身のように愛するというのは並大抵のことで出来るものではない。
そのはっきりとした真意は残念ながら僕にはわからないが。
けれど、自らの感情のうねりを他者に向けるというは、僕と同じくらい、いや僕以上にその意味が全然わかっていないのではないのか。
毎日世界中で悲しいことがおき、そのひとつひとつを悲しんでいたらそれだけで人生は終わってしまう。
 
人生は短い。


そして、そんな人生こそよっぽど悲しい。


飲酒で赤くなった顔をお面で隠し、夜道をふらふら歩いていたら,出し抜けに
「偽者!」と罵声を浴びる。
そんなデクノボウの話。

あばば。