‘;、→ デカタンスの季節 ←;‘,
時代がまだ大正だった頃、
旧制高校の学生間で大ブレイクしたというこの言葉だが、
今では全くもって聞かなくなった。
死語のうちでもおそらくトップクラスにランクインするのではないかとさえ思われる。
僕は昭和の第二次ベビーブームの世代だが、
何をどう間違ってそうなったのかはわからないけれども、
一端の文学青年気取りで学生時代を過ごしてしまったので、
” デカタンス ”という言葉は当時の友人間ではよく口の端にのぼる、
非常に親しみのある言葉なのだが(笑)。
けれど、僕らが言うところのそれは、どう転んでも結局は単なるポーズに過ぎなかった。
御茶ノ水の鄙びた喫茶店で、真昼間に洋酒の入った珈琲をちびちびと啜りながら、
神田の古本屋で買ってきた、何が書いてあるんだかさっぱりわからない哲学書をペラペラとめくり、
独り悦に入るという、無闇に喫茶店の給仕さんを不快にさせるだけの、
まだまだ可愛い類の遊戯だった。(「キモい」説も有力だが!)
一般にはデカタンスは死語と化してしまったけれど、それは言葉上のことだけであって、
実際には目もあてられないほどの悲惨で、無自覚なデカタンスに蝕まれている人達は何時の時代も必ず居る。
それもごく近しい人がそうだったことに気付いた時のこのきまりの悪さ。
自分の想像力を総動員しても理解不能な人の行動・思考パターンに遭遇すると、
自己はその他者に対し、強い拒絶を示すかあるいは、判断を即座に停止する。
いづれにしてもこの眩暈と悪寒から逃れることはできない。
可愛らしくも恐ろしい「カトリーナ」報道を発泡酒片手に眺めながらも複雑な心境。
米国の虚栄がはっきりと露呈し、わかってはいたんだがなんだかなぁ。。
あっ、すいません・・・。
柄にもなく怪気炎吐いちゃいました・・・・。
三十路手前の茫漠独語でした。