やれやれ、である。しかし、何もすることがないし、何もする気がないので、しょうがないしょうがない。のいるこいるのいるこいる。僕は今なにもしていない。指を動かしているだけである。
人が多い日はひきこもりに限る。人が多い日にわざわざ出かけるのは素人である(なんの?)。
泊まりで遠出するのならまだしも、例えばGWに日帰りで近場に出かける一家がいたとすると、どうして普段の週末に行かないの? と思う。しょうがないしょうがない。
気が付けば5月。今日は6日だと思っていた(日付や曜日がわからなくなったらあぶない)。そしてオードリーの誕生日だと思っていた。もちろん、亡くなっていなければのことではあるが。しかし実際には4日だったらしい。今日、誕生日記念に『ローマの休日』でも観るか、と思ったが、めんどうなのでやめた。どうでもいいどうでもいい。それにしても、僕が人の誕生日、それも好きな人のそれを忘れるのは珍しい。初めてではなかろうか。
最近知ったのだが、「ローマン・ホリデイ」と書くとなんかダサいので「Roman holiday」は「鬼の居ぬ間に洗濯」のニュアンスがある諺らしい。なかなかシャレている。
それから、これも僕が大好きな映画である『カッコーの巣の上で』の「カッコー」(これはそんなにダサくない)は「精神病患者」の隠語で、「カッコーの巣」は「精神病院」の隠語らしい。これもなかなかにシャレているが、日本語にすると全くわからないし、タイトルだけならほのぼの映画である。実際僕は最初そう思っていた。
仮に邦題が「鬼の居ぬ間に洗濯」ならあんなにヒットしなかっただろう。しかし、そうでないとタイトルの良さが半減する。もはや何を言っているのか意味不明である。
冒頭でもあるが、5月になった。もうそろそろ、僕が去年旅行に発ってから1年が経つ。本来なら日が経つにつれ、いや、1秒ずつ生きるに従ってあの日々は遠ざかるはずなのだが、不思議なことに、僕の中では日に日にあの日々が近づいているのである。
5月27日だったか、去年の日本ダービーの日であった。次の日、セブンイレブンで新聞を立ち読みし(真似しちゃダメ)、ディープインパクトの2冠達成を知った。
きっと心のどこかで、5月27日になると香港に行ける、そう思っているじゃないかなセルジオ越後。
毎年、5月27日になると香港が近づき、その日を境にまた1日ずつ去っていくのだろうか――。
初めて香港の地を踏んだ瞬間、あの興奮を忘れない。6月の勝利の歌を忘れない。
ああ、初めての一人での海外旅行――。
この、地を踏んだ興奮――。
この感情はもう二度と味わえないのか、そうなるとなんかもったいない気がする。
そう思っていたが、1年経った今なら、またあの興奮を味わえそうな気がする(インドに行きたい)。
日記をろくに書かなかったせいで、今、少しずつその旅行をまとめている。もうすぐ香港に着くが、着けない。あの日々と一緒に色々なものがやってくるせいだ。
香港で出会った、ある女の子である。僕より少し年上だろうか、当時彼女はある場所で働いていたが、去年の8月にそこを退職し(このことはそのときに聞いていた)、今はIFCで働いている(これは少し後に、そう決まっていることを知った)。らしい。
IFCというのがわからないので調べてみた。
偉大である。当時・限りなく大学生に近いニート、現・限りなくニートに近い大学生の僕とはまさに月とスッポン鍋伊藤英明下ネタである。
ああ俺は経済大国ニッポンにいながら何をしているのだ、と思う。何をしているのだ、ではなく、何もしていないのである。生きているとも言い難い。そこにいるだけである。
そういえばあのとき、日本代表に初めて選出されて以来の加地さん並に英語が上達したし、使いたい表現を覚え、使った。相手が使って、僕が気に入った表現があればすぐに真似をした。真似をするとそのまま発音も覚えられる。また、間違えたらその分覚えた。ある種のスーパーサイヤ人である。
理由はいわずもがな。アレである、アレ。
(どんだけヒマやねん)
そういえば、大学の面白い先生が講義で少し話したせいもあるのか、久しぶりに『あいのり』を少し観たら、アレックが帰り、スイスに入った。スイスといえば、僕がイタリア、ベルギーの並んで行きたいところである。理由はアレである、アレ。つまり、オードリーである。
あれを観ると、あー俺もタイガータイガー恋しタイガー、とはならないが、タイガータイガー旅しタイガー、となる。
(旅を)したいから観るのか、観るから(旅を)したくなるのかはわからないが。
タイガータイガーじれっタイガー