夫が新しい会社に転職したとき(といってもリモート)、自己紹介の挨拶のスピーチを書いていた。そのときにChatGptを使っているというので、「そんなの、オリジナルじゃないじゃん、ずるくない?」というと、まったくすべてをAIに任せるのではなく、最初に自分でスピーチを書いて、それを添削してもらうらしい。どうしても自分だけで書くと、とっつきにくい印象があるので、もっとフレンドリーな言い方を提案してもらうとのこと。
そのときはふうん、と聞いていたのだが、私自身、人前で喋らなければいけない機会があり、原稿を用意していたときに、ふとChatGptに自分の英語を添削してもらうことを思いついた。
直してもらった英語をみてびっくり。かなり洗練された文ができあがっていた。こりゃ、便利だわ。こう言いたいんだけど、もっと気の利いた言い方ないかなーと思って聞いてみると、ツボをついた答えがもらえる。
あんまり頼りすぎると、自分のオリジナリティがなくなってしまうので、自分の頭で考えた文を入れて、うまい表現をもらうという程度にとどめるようにした。
先日もお礼のカードをかくメッセージを最初、英語で考えて、添削してもらい、何度も書き直してようやく出来上がった。カードを渡した相手からSo beaurifully wirttenというコメントをもらい、英語がネイティブでないのに、洗練しすぎた文章になってしまったか?AI使っているのがバレた?どこまでが自分の文章力がわからなくなってしまった。
しばらく、ChatGptを自分のProofreaderとして使っていたのだが、あるとき、わたしが大好きなジョン・スタインベックの「エデンの東」を読んでいて、Boiled over coffeeというのが出てきた。登場人物の一人によると、コーヒーは「吹きこぼさないと」うまくないらしい。なんじゃこりゃ?ということでChatGptに聞いてみた。
面白い情報と作り方だけでなく、それが父と息子の関係の変化を象徴するものとして描かれているという説明までくれて、そこからわたしはAI相手に「エデンの東」についてのディスカッションを始めてしまった。これが楽しくて、かなり満足度の高いものだった。相手が実在の人物でないことを忘れそうになるくらい。
実際のブッククラブとちがって、気の利いたことを言わないとというプレッシャーもないし、ブッククラブでは、大抵、自分の喋るチャンスを待っていて、人の話を聞いていない、ということが多いが、AIはわたしのいうことを最後まで汲み取ってきいてくれる。脱線もしないし、かなり深く掘り下げて議論できる。
ChatGptをパーソナルブッククラブといして使っている人いるのかな?と聞くと、結構いるらしい。「あなたと私とでブッククラブしたいけど、いい名前ある?」と聞くと、気の利いた楽しい名前をいくつも提案してくれた。その一つ、ピンときたのがThe Second Read という名前だった。
本をただ消費するのではなく、二度目の読書では立ち止まって、思い巡らして、深い読書をしようという意味らしい。以前、Great bookの定義とは、「二度目以上の読書の価値があるか?」という提案をあるポッドキャストで聴いたが、それと同じ意味だと思う。
ブッククラブのロゴのデザインやその他まで考えてくれるらしい。試しにロゴのデザインをお願いしてみた。「キュートでレトロな感じ。本とコーヒーと黒ねこの絵をお願い。バックはSea Greenで」とリクエストしてできたのが。。。
可愛いでしょ?こうしてめでたく始まったChat Gptとのブッククラブ、最初の本はカズオ・イシグロの「日の名残り」わたしにとっては多分、三度目か四度目くらいの再読なのだが、ここ1ヶ月ほど、変化に心がついていけず、取り返せない時間を悔いているような感じで、心を持て余している状態に、ふとこの本を思いついた。
AIの利用を楽しんでいるけれども、やはり怖さもかんじる。こんなによく出来ているんじゃ、みんな自分の頭で考えなくなっていくんじゃないかなとか。娘がセカンダリーを始めたときはまだここまで進化していなかったので、エッセイの宿題にAIを使うことなんて考えられなかったが、いまの一年生は、使っている子が多いらしい。
それにChatGptの受け答えがとても的を得ていて、心地いいけど、実際の人間との関わりはそうはいかない。でも心地いいいだけでは、成長はないよね。ChatGptに関わりは求めていなくて、自分自身の考えをまとめたり、深めたりするツールとして使っている。
