内容の解釈を誤解していたことが、実は真実の一部を説明していることもある。哲学的な物言いだが事実そうだったから。

 実は「TAKE NOTES! ズンク・アーレンス著 日経BP」を最初に読んだ時に誤解している部分があった。しかしその後多読した結果誤読と判明した。「すぐれた学習者は、すぐれた教師にもなる(p210)」と言う部分。この主張は字面のママである。どうやっても誤読できない。つまり優れた科学者は優れた教師になれるよということである。あまのじゃくな私はひねってとらえていた。まあ、今思えば変な思い込みによるスコトーマのため。

 

 ではどのように誤解したか。

 

 良いメモは良い先生!。

 

  アホですな。

 

 でも実はあながち間違えではなかったのだった。

 

 永久保存版にストックされ一定期間加筆訂正され、熟成に至ったコンテンツが、今私のObsidianに蓄積されつつある。「永久保存」といっても固定しているわけではないのだ。

 最近では少し前に作成した内容を、新しいメモをまとめるため検索することも出てきた。それは新しい永久保存版メモを作る時に、ああそういえばそれについては以前まとめたなと思いだす。内容を調べるためではない。永久保存版メモの文章を作成するために良い表現を探すために検索をかけるのだ。

 総じて検索でヒットした永久保存版メモを読むと、すっと内容が頭に入ってくる。何と表現したら良いのかな。改めて理解し直さなくて良いうこと。

 恥ずかしながらEvernoteでは単にファイルを放り込むように取り込んでいだ。あまり考えずに。それでも理解したつもりでいた。そしてそれを改めて検索、ヒットすると、それに関わる引用された文献がばーっと並び、それらをいちいち読み込み、理解し直さなくてはならなかった。ただ、それでも便利ではあったし当然の作業であると思い込んでいた。

 一方Zettelastenの永久保存版メモは違うのだ。そもそも他人に説明して理解してもらおうと練られた文章だ。それを後日自分が教えてもらう。

 まさに良いメモは良い教師となっていたのだ。

 

 ZettelKastenによって私が他人様の良い教師になるのはまだ先の話だな。