漢方条文に書かれている症状の、もとの病態を理解しておき、抽象化して患者さんを四診する。そうすることで一見条文にない症状でも上手に適応可能となる。
最近読んだ傷寒論条文174条を例に挙げる。
傷寒八九日,風湿相搏,身体疼煩,不能自転側,不嘔,不渇,脈浮虚而渋者,桂枝附子湯主之。若其人大便鞕,小便自利者,去桂加白朮湯主之。
私はこれをリウマチ治療の条文として理解している。
症状の字面だけ追うと、条文の症状がないと桂枝附子湯や去桂加白朮湯の処方は当てはまらないのではないかと思えてしまう。しかし、条文中の症状の「短気」や「汗出」が仮に症状として患者さんになくても、元となる病態が、抽象化して理解しておけばはずさない。この条文の場合、気虚によるものと理解していれば、その症状がなくとも、処方可能である。
また不嘔不渇というのは病態が裏に及んでいないことを示している。となると、字面ばかり追いかけてしまい、リウマチ患者さんにほんなもん普通あるかい!というツッコミもできなくなる。確かに、関節痛の人の特徴的な症状として、吐いてもいないし、喉も渇かないなんてどうでもいいだろと思うのは当然である。しかしこれはその後の段で生きてくるのだ。便が硬くて尿はちゃんと出るとう部分。これは裏に及んでいる病態であるのだ。この場合は、去桂加白朮湯の適応であることを指しているのだ。戻ると、桂枝附子湯は裏に及んでいない場合であることが分かる。つまりこの二つの方剤は対になっていることが見えてくる。
傷寒論は難解である。それを解決するために抽象化、そして具体化を行き来することが解決に繋がる。それに自由に漢方も処方できるようになる、ということだ。
(これはZetetlkastenでプロダクトしました。)