じっくり思考しよう。ならZettelkastenしよう。そんな感じ。
もはや私にとってZettelkasten法は思考そのものだ。心からそう言える。Obsidianで処理している時間は純粋に、永久保存版メモの完成に向かって集中している。それが思考そのものだと感じるのだ。
現時点では永久保存版メモ数が少ないためアウトプットまでは辿り着けない。しかし、インプット、というべきか、永久保存版メモを作る過程は、思考そのものという他言葉が見つからない。
以前紹介した通りきっかけはプロジェクトであった。5分以上かかるもの、特に調べ物はプロジェクトにした。そのプロジェクトの解答を永久保存版メモに整形する。それを文脈にはめ込むのが目的の作業だ。第三者が分かるように丁寧に整形する。その過程で当然私の、忌み嫌っている癖が出る。そう。気が散るのだ。
長時間、プロジェクトに集中できない。一番多い、気が逸れる原因それは、調べものをするうちに他の疑問が湧いてくるのだ。今行っていることに関連していることに限らずだ。
いっぱい疑問が湧くこと。これはそれまで、つまりZettelkasten以外の方法で、何かをまとめようとしたときは、邪魔だった。特に全く作業と関連しないことが気になった時には特にそうだった。これまでそのような時は時間を区切るなどして、作業を別々にして、集中力を途切らせないようにした。今で言うポモドーロに近いメソッド。これは一定効果はあった。
では、Zettelkastenではどうするか。
新規プロジェクトにさっと入れる。その後すぐに元のプロジェクトに戻る。そのプロジェクトが終わると待ってましたと、先ほど、あるいは以前に作ったプロジェクトを開始する。作業に連続性を感じる。同じアプリだものね。
連続して考えることになり、ちょっと考えるのに疲れたりすると永久保存版メモを見直しててにおはを直したり文脈をさらに流れるように修正したりとなんだか有意義な時間を過ごしている。
これは初体験だ。すごいぞZettelkasten。何というか天才になりかねない予感がする。