我が国の東洋医学が行き着いたコンビネーション
師匠の漢方追求
師匠はどこまでも漢方で治したいのだとおっしゃっていた。だからどこまでも漢方での治方を追求された。その過程で経方医学をまとめられた。
実は師匠は鍼もされておられた。そしてとてもよく効いた(後で調べる)。しかし彼の治療はあくまでも漢方であった。鍼は興が乗ったら打つ感じであった。当時は併用すればいいのにと思ったものだった。
私の漢方治療スタイル模索
一方私は常に漢方と鍼の併用を模索していた時代があった。ごく初期の頃東○医学○総会で関連部会があれば必ず出席していた。そしてそれらの会の最後は「これは第一歩です。」とおっしゃって締めくくっていた。その後何年も渡り色々と同様の部会に出席した。その度に一歩と締め括られた。二歩目以降はついにならなかった。答えはここにないのだと気づくのに数年を要した。今思えばそうなればいいなと発想する方は多かったはずだ。しかし実際の答えに行き着いた人は少数なのだ。
一方で私自身の限界もあった。毫鍼つまり普通の鍼を巧に操作する鍼灸の技術を深めていくには圧倒的に臨床経験、機会が圧倒的に少なかった。まあそこは医者だから当たり前だ。当時勤めていた病院に通院される方は漢方治療を求めておられる方が大半だったからだ。それだから一流の鍼灸師とは時間が経つほど、当初より開いていた技術が大きくなるばかりだった。そしてふと思った。そうか。師匠もこの部分に限界を感じていたのかもしれない、と。
漢方と鍼灸の狭間へ
しかし私は諦めなかった。きっとこのようなことを悩んだ先達もいたはずだ。ただ漢方と鍼灸を併用した治療に関する本は以前から片っ端から読んでいた。しかしそれはただ、漢方やってます、鍼灸やってますを併用しているだけだった。つまりお互いに相互補完的な関係で体系付けたものとは言い難かった。
解決は刺絡だった
それは本当に偶然であった。京都の病院には多くの漢方、鍼灸の文献が置いてあった。そこで刺絡見聞録なる本を何気なく読み始めたのだった。江戸期の刺絡治療をメインに名を馳せた三輪東朔の治療の姿や言質を伊藤大助が書き記した内容である。あれ?刺絡って何だろう。
調べてみると刺絡とは鍼灸の1部門である。経穴や圧痛てんなどのポイントに刺し、少量出血させて治療する方法である。不思議な治療法もあるものだといつも通りにぱらぱらと読んでいたら、「刺絡にて中に8、9を去り、その1、2は湯薬をもって輔翼となす」という文章がばーんと刺さってきた。まずは刺絡で殆どを治して残り残っている症状を漢方で治すという内容だ。これだ!漢方と鍼灸この場合刺絡だ。これをちゃんと実践している人がいたのだ。漢方と鍼の併用はこの刺絡の導入から始まったのだった。時は2011年。震災の年に私の治療スタイルが産声をあげた。