ACPまたは人生会議について | にのもんた

ACPまたは人生会議について

2月2日、3日は北海道帯広で、第25回日本ホスピス・在宅ケア研究会全国大会INとかちに参加。

2日目の午前中3時間は、市民部会による「市民の考えるアドバンスケアプランニング(人生会議)」というシンポジウムを行った。

田中洋三さん司会、二ノ坂が基調講演、長谷さん、宮本直治さんがスピーカーとして参加した。

 

私は、まず3つの実例から。

1)少6の女の子。腹痛で来院し、虫垂炎を疑った。手術のできる病院を紹介しようと母親に話したら、母親「あなたの問題でしょう。あなたが決めなさい!」と強い口調。呆れたが、考えてみると実は自分たちも、情報ギャップの大きい患者に、手術ですか? 抗がん剤ですが? 家族と話し合って決めてください、と迫っているのではないか。

2)バングラデシュの安楽死(慈悲殺)申請事件。筋ジストロフィーの息子二人、孫一人を持つ父親が県当局に、彼らの安楽死を願い出た事件で、半年後に息子の一人は亡くなった。医療資源も乏しい、国も国民も貧しいバングラデシュで、胃瘻や人工呼吸器を使った神経難病の患者の生活を支援することができるのだろうか。またイスラム教の安楽死に対する考え方はどうなのか? 色々なしがらみから自由な、本当の自己決定は可能なのだろうか。歴史、文化、風習、社会との関係性、経済的豊かさ、医療体制の充実、国民の意識の問題など様々な要素が関わって、意思決定は行われる。

3)どうして年寄りが、死にそうになってから、自分で決めろと言われるのかね。というあるお年寄りの言葉。

これらは、意思決定の難しさ、それを支えることの重要性とともにその困難さも知るべきことを示している。

 

では、今声高に叫ばれているACPはその解決法として優れているのだろうか?

そこで「ここが変だよ? あCP」としていくつかの問題点を指摘した。

1)誰も知らないACP

国民、住民一人ひとりのためのACPのはずなのに、じつはだれもしらない。

2)診療報酬のためのACP

3)みんなまよっている。迷うのが当たり前。決められない人には、決められない理由がある。

4)緩和ケアとACPは、支え合っている。

そしてACPは突然降ってわいたり、これまでのADを否定してできてきたものではなく、それらの発展形としてでてきたことをのべた。

つまり、患者は本来意思決定能力を持っており、自己決定をおこなうべきである。

医療者(主として医師)は、患者が意思決定ができるための情報を提供し、患者や家族とともに考え、患者本人にとって最も良いと思われる意思決定に至るよう、支援すべきである。

つまり、インフォームド・コンセントから→意思決定困難になった場合を想定しての事前指示書→そこからさらにACPと発展していくのだろう。そしてそれは、緩和ケアの発展、支えによって成り立つ、と。

 

ここではかかりつけ医の役割も重要で、とくにそのコミュニケーション力が必要になる。

コミュニケーションは相互関係によるものであり、し信頼を得るにはまず、自分が相手を信頼することから。

在宅では、生活、人生によりそうことを自然に学ぶことができ、コミュニケーションが良好なことが多く、その結果、意思決定支援、将来について話し合うことも自然にできるようになる。

また、「病院では意思決定はできない」(宇都宮宏子さん)と言われ、家では自分の自由な意思を発言しやすいと思われる。その点を川越正平さんは、「意思決定における在宅の優位性」とよんでいる。

 

そういったことを話し、ACPの本質とその発展の歴史を踏まえて、我が国に即したACPを育てていきたい、そんな思いで話を終えた。

 

 

終了後のディスカッションも興味深かった。

こまかい展開は記録できないが、様々な発言から今回私が学ぶことができたことを少し書いておきたい、。

 

意思決定の問題を考えるとき、医療の枠を超えて行くものであると考えるべき。

その場として、相談の場、市民の訓練の場、などが必要。

例えばマギーズセンターなどは、がん患者の相談の場になっているが、誰でもがあのようなことができるわけではない。まず、ボランティアによる「相談の場」があったらどうだろう。家族を在宅で看取った人が当院でもボランティアに参加する人が多いが、そのような人の中から相談支援に関わるのはどうか。もちろん各種専門家もその支援部隊として参加してほしい。

認知症カフェなどが広がっており、当事者や家族などの市民が参加しやすくなっている。欧米などではデスカフェが広がっている。これらは市民自身が関わることのできる、ある意味市民の自立の訓練の場でもあるのではなかろうか。

ほかにも、患者会やかたりば、しゃべりばなどもかつようできる。

これらをそれぞれ単独で終わらせるのではなく、地域の資源として発掘し育成し、つなげていくことができるのではないだろうか。

地域の中で自然に生えてきた芽を大切に育て、つなげていくこと、繋げる場を作ること、またさらにあらたなタネをまくこともできるのではないだろうか。

 

そのほかにも、たくさん心に残った言葉がある。

◉やさしさの曇りガラス・・・家族が患者のことを思いやるが故に本人の本当の気持ちが見えなくなってくる。

◎(病気の厳しさについて)家族と話すことができなかったのは、自分自身が向き合っていなかったからではないか。

◉これまで人々は、自分の死をそれぞれに受け止めて、そして逝った。

◎ガンの多くが生存期間が長くなり、また情報があふれていて、情報過多のために自己決定が難しいという「がん難民」になっているのでは。

◉医療者自身が自分の死と向き合うこと。そのためにも、医学生、看護学生、薬学生、歯科学生などへの教育が重要ではないか。

◎ACPを求められる時代、そういう時が自分にもくるのだ、ということを市民一人一人が心に止めておくように。