情報技術の発達が人間の情報処理機能を代替した
工業技術の発達と産業化は人類に多くの恩恵をもたらしたが、生産活動において冷静な視点から見れば、人間は機械の補助的な役割をするだけであった。
ところが、20世紀後半、情報を生産する器ともいえるコンピュータの技術が革命的に発展した。情報を分配して活用する手段ともいえる通信技術が普及し始め、再び変化が訪れてきた。
すなわち、肉体的な労働を機械が代替した後、人々の主要な役割であった情報処理機能までも、コンピュータという新しい生産要素が少しずつ代替されていったのである。
ならば、このままコンピュータや通信技術が発達し続け、ほとんどの情報処理機能までをコンピュータに奪われると、人間の仕事は完全になくなってしまうのかという疑問が生じることになる。
しかし、結論から言えば、決してそうではない。
例えば農耕文化時代には、肉体が生産活動の中心となった。
もちろん人間の5感覚と頭脳機能を全く使わなかったわけではないが、仕事をするにあたって肉体的な労働の比重が95%、5感覚を利用した情報処理機能が4%、頭脳を活用した高次元的な比較判断及び創意力発揮などの役割は1%程度と少なかったと言える。
しかし、本格的な工業化が実現するにつれ、肉体的な労働という役割のほとんどが機械に乗っ取られてしまってからは、かつては極めて少ない割合を占めていた頭脳と感覚を活かした情報処理機能の比重が大きく拡大した。
すなわち、人々がすべき仕事の絶対的な量が農耕文化時代に比べて減ったのではなく、肉体的な労働が減った分だけ、過去には5%程度しか占めていなかった情報処理機能と役割がより大きく拡大したのである。
ところが、情報技術の急激な発達に伴い、農業社会では4%程度、工業社会では5%程度以上を占めていた情報処理機能までもコンピュータに奪われるようになり、人々の役割や仕事の概念は再び本質的に大きく変わりつつある。
そして、その変化は一次的に製造現場はもちろん、事務現場でも必要人材の減少によって現れる。
そのため、ほとんどの人は、その変化に強く拒否感を持ち、抵抗したり逆方向に対応する姿を難なく見かけることができる。
しかし、そのような考え方と対応方法は、先が見えない近視眼的でありながら、守旧的で愚かな行動だと言える。
かつて工業化が本格化するにつれ、肉体的労働を機械に奪われながらも、全体的な仕事の量や雇用そのものが減ったわけではないように、情報化が急激に進んだ今日においても、かつては想像すらできなかった全く新しい形の仕事やさまざまな仕事が生まれているからである。
ただ、この時代を生きる人々一人ひとりがこのような世の中の変化を肯定的かつ積極的に受け入れ、新しい仕事と時代が求める社会的役割に適応しようと努力するかどうかは、このような巨大な社会的変化とは次元が違う各個人の問題だと言える。
従って、この時代には、過去の工業化時代に我々の食の源泉であり、生産活動を支える人間の役割だったと言える情報処理機能は、もはや安価なコンピューターとITに与え、人間は頭脳を活用した新たなレベルの高い仕事と役割を作っていかなければならないのである。
かつて農業化時代にわずか1%程度を占めていた頭脳を使うことをどのように拡張していくのかが、社会的にはより豊かな物質的生活環境を作る生産活動でありながら、個人には良質の働き口と高い所得、余裕のある人生を送る道だと言える。
すなわち、変化の本質は仕事の量(quantity)が減るのではなく、仕事の概念と仕事の内容が変わるという観点で理解されるべきである。
このような変化の本質を明確に理解すれば、「第三の波」と呼ばれる避けられない社会変化に対して、無条件の抵抗とそれによる社会的淘汰のような凄まじい結果を避けることができ、新しい時代が求める強力な競争力を備えた人材として生まれ変わる重要な機会を設けることができるだろう。