内田樹さんが憲法改正をムードでされないために九六条という装置がある。これは叡智だというつぶやきをしていました。それについて若干のコメントを。

 ―確かにそういう性質はあると思う。しかしアメリカの憲法が各院三分の二の賛成に、全州の四分の三の批准という高いハードルを持ちながらも修正が27条にも及んでいるという事実に注目すべきだと思ふ。日本ただの一度も改正できたことがない事実は重い。

 ちなみにアメリカは男女同権を憲法に盛り込もうとしたけども、35州の承認しか得られずに可決できなかったのよね。硬性憲法が本当に国のためになるかといえば疑問であるし、民主主義に適しているとは到底思えない。日本人で憲法が改正されないという背景を持つから、そう考えるのかもしれないけども。

 あと連邦最高裁は1966年のミランダ事件の判決で、拘束された被疑者の黙秘権・弁護人依頼権を手続的に保障する、いわゆるミランダ警告によって自白裁判、日本でいう調書主義的な行為が起こらないように歯止めをかけたわけよね。日本の最高裁は50年近くアメリカに遅れているのかね…。

 まあ、何が言いたいかというと硬性憲法であるアメリカにしてどんどんどんどん手を入れよう、国民であれ、議会であれ、裁判所であれ、よりよいものに創りあげよう!という意志がそこには見えるわけで。うまくいっているいないはともかくとしてね。そしてそのような意志が日本にない、現実に進展していない。こういう事実を見ると硬性憲法である九六条を変えて行く事自体は日本に適していると思われる。

 自民党の改憲案は反対ですけどね。そして九六条が改正されて軟性憲法担ったとしてもこれまでの議会を見て分かる通り、改憲案が出てもろくに審議進まず停滞して進まないという気がしますね。まあ今の状況に比べれば、仮に九条でもなんでも同じ条文を作ったり、廃止したり、復活させたり、行きつ戻りつになるんだろうなという気はしますね。

 まあ、改憲を訴えて自民・維新などが躍進・そこそこ。対照的に共産・社民のような勢力が衰退しているのは時代の転換点ということでしょうね。憲法が死んでいる日本で憲法を何とかしないことはありえませんからね。変えようという事自体は歓迎すべきでしょう。まあポイント解っていないんで成功せずに混乱するって既に見えていますけどね。