最近気付いたこと。なぜか両方共立ち読み中に気づいたことなんですけどね。

■足首の話
 下肢にある脛骨と腓骨、太い方の脛骨で体重を支えないといけない。多くの人は癒着・固着身体を固めてしまって筋肉も骨も一体化してしまい、外側で体重を支えてしまっている。内側・骨で体重を支えないといけない。

 で何故か立ち読みをしている時、スーッと内側に通る感覚があった。足首の脛骨の出っ張ってる所を中心に内に倒れる感覚。内側に、内側に重心・体重がよる感覚。倒れるに任せるだけで、楽に立てる。まあもちろん内側だから倒れ用がないけですけどね。人はヨコに引っ張られると足を移さない限り倒れます。そういった感覚が外側じゃなく、内側に感じるとスーッと建てることに気づきました。

 足首の内側に意識を置くと楽に立ちやすい。これまで
膝の内側にポイントがあるという感覚はありましたが、足首に感じたことはありませんでした。足根骨の立方骨・舟状骨・距骨、そこら辺は内側にポイントを置いたほうが機能しやすいのでしょうか?手首を締める、固めるという感覚があるように、足首にも同様の意識を持てるのかも。

 まあ、こういう意識があると、足を楽に使える。馬が歩く・走るように、脚を紐に吊るされているようにスーッとあげてぺたーんっと使えるわけですね。前回書いたように落下する・倒れるだけで足の力は要らない。というか足に力を入れて動くとまず走れない。最近は、今日ちょっと走りづらいなぁ。力が抜けないで軽く重心移動が出来ないなぁということがめっきり無くなって来ました。ただ倒れるだけ、ということはやっぱり普段の生活で見過ごされるところですから、もっと歩くときに倒れる・落ちるを改めて意識しなくては。


■上腕の浮きの話
 ジャンプを立ち読みしていて、なんかの絵で太極拳のように腕をふわっと吊るような絵があって、半禅という片腕を出す形の立禅がありますが、そのつきだした側の前の手を
手のひらを自分に向けるのではなく、下に向けてやる。そうするとなぜか肩が楽になる。ふわっとするんですね。肩・背中・首ってのは共通してますから、そこら辺の痛み・コリはだいたい根源同じですね。それを解消するのに拳を握らずに手首を鶴のようにして、ふわっとするような意識をもたせると、それぞれの連動が高まって、首や肩や背中にいいのかもしれません。なんか痛みが解消された感じがします。

 腕を持ち上げるような、というか腕が自然と持ち上げられるような感覚を持つこと、作ること。ピアノを引くような腕の構えを大体肩ぐらいまで上にあげて脇や腕の下にクッションがあるような感覚にします。そうすることできっと肩・首・胸と言った部位のつまりが無くなるんでしょうね。よく胸がふさがるのをなくす、胸を張ることの重要性を説きますが、胸よりもむしろ鎖骨と腕の付け根の三角地帯が腕を前に突き出すだけで固まってしまうので、そこを緩めることがポイントといつも書いてますけども、きっとそのつまりも解消されるのでしょう。

 脇、肋骨といったサイドや胸に球・浮き袋が搭載される感じですかね。腕や肩が浮くとセンターも整う感じがしますね。吊られるんだから当然ですかね?拘束背芯をどうするかというのが問題で、そこが動くのにこの意識の置き方、腕からアプローチしてやるというのはいいことかもしれません。ちょうどバレリーナが腕を上に上げるように、センターを意識する。軽やかに動くためにはああいう腕の使い方が必須なのかもしれません。腕→上体だけじゃなく、全身浮きますからね。腕っていうのは一番弄るところですから、そんなことだけで身体が良くなるというのは盲点でしたね~。

 ※追記―忘れてた。ちょっと前に振り返って、ああ~そうだなと思った顎に意識を置くと額がゆるむという話。今度は人あたりの上顎ここを中心に笑うとより顔全体がゆるむということに気づきました。そういや藤本サンの本で書くつもりだった頭、顔の話書いてないしそこで詳しく書きますかね。