コメントで憲法の話が出てきたので、時間もないので改めて憲法の要点、エッセンスを書いておきます。

 憲法というのは本質的に慣習法で。いくら条文にあーだーこーだ素晴らしいことを載せていても、実際に履行されなかったら何の意味もないのです。

 そこら辺は小室直樹著『日本人のための憲法原論』『痛快!憲法学』(内容同じ)や近著の『消費増税は民意を問うべし』などに詳しく書いてあるので、そちらを読んでいただけたらと思います。
日本人のための憲法原論/集英社インターナショナル
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痛快!憲法学 (痛快!シリーズ)/集英社インターナショナル
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日本国憲法の問題点/集英社インターナショナル
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これも憲法、憲政のまずさを論じているので非常に面白いのでお勧めです。
消費税は民意を問うべし ―自主課税なき処にデモクラシーなし―/ビジネス社
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 憲法を改正する・しない以前の問題として、日本国憲法は【既に死んだ憲法】であるということ。問題はまずそこにあって、そこを避けて論じても何の意味もないんですね。日本は民主主義国家ではないのですから(まあ控えめに評価して全体主義要素が入り混じった不完全な民主主義としておきましょうか)。

 民主主義とは立憲政治ですね。憲法によって国家の主権を制限する、そして主権を民衆に置く。国民主権を実行するためには三権分立、権力をそれぞれ独立させ、主権が行政・立法・司法のどこか特定の階層や団体に独占されないように分散させる。そうして初めて国民主権というものが貫徹できる。

 ところが、現在は行政官僚が三権を簒奪している。特定の頭・集団が何でもかんでも決めるというシステムではないが、それぞれの官僚が自分たちの担当で好き放題やって立法府が形骸化してしまっている。チェックアンドバランシスが働かなくなってしまっている。

 
世界的に非戦を謳ったり、民主主義が履行されるだろうという素晴らしい憲法はいくらでもあります(北だって中国だって一応形式上は民主主義ですしね。
)。しかしあっという間に独裁制度に変わっていきます。それは条文いくら理想的なことを書いても、慣習として履行されなければ機能するわけないから。成文法と言えども、それを実行する・裏付けする慣習の支えなしに成立しない。

 だからこそ慣習を意味する憲政の常道は重要なのです。常日頃、憲政の常道を守れ!と書いてますし、憲政の常道を三度も踏みにじった菅直人の悪名は丹青に刻まれた!国民で糾弾すべし!と厳しく避難しているわけです。小室博士なら電柱に吊るすべしと激するところでしょうか

 慣習が踏みにじられたら、憲法はあっという間に消えて死ぬ。これを何よりも胸に刻んでおかないといけません。まあ詳しくは読んでください。

 アメリカも硬性憲法簡単に変えられないような制度になっているにもかかわらず27条の修正があり、また最高裁の判例などで国民の権利が守られるような拡大解釈がなされているのに、日本の場合は全く実情を無視して法が運用されています

 民主主義というのは変わり続ける現実に適応できるようにどんどん変化していかなくてはなりません。そうでなければ民主主義を支える慣習を保つことなどできないでしょう。民主主義のエッセンスの慣習は守りつつ、法は現実に合わせて変えていく。これができないことを日本国憲法はよく示しています。一度も改正されたことがないのですからね。
 
 しかし、エッセンスである憲政の常道は滅び、重要な慣習は捻じ曲げられ、三権分立というエッセンスは殺されたのにもかかわらず、事実上の改憲=改悪が行われたのにもかかわらず、その事実の指摘はない。チェック・解説すべき報道が死んでいるのですから、それ当然。報道が死んでいる社会で民主主義が死ぬのは当然すぎるほど当然の現象ですね。母が死んで幼子が生きていけるはずがないですから。


 もっと憲法の本質・慣習の方に目が向かないと日本の状況はいつまでたっても変わらないでしょうね。