教員のつぶやき〜わたしの場合〜

教員のつぶやき〜わたしの場合〜

自分じゃない誰かになりたい。働くとは、しあわせとは、自分とは。生きるのは大変です。

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まるで2週間あったようなボリュームだった。
みなさんおつかれさまでした。

明日もある人は今夜もゆっくり休んで。

おつかれさま寿司🍣しました。
がんばったときは美味いもの!

しかし食べ過ぎか、腹痛なう…😢



つかれた〜。
今日は無事出勤。

昨夜は寝れなくて、がまんせず薬を飲みました。
思い切りも必要ですね。

夜は焼きそばともつ鍋風スープでキャベツたくさん食べました👍

このブログを書いたからか、なんだか気持ちが軽いです。少し前向きにやれそうな気分。

今日はぐっすりねれますよーに!

自分を知りたい、とよく思います。

他人のことはいろいろみえても、自分のことはいつもよくわからない。

似合う髪型すらわからない(笑)

思いつくのは悪いところばかり。
自分をすきになるのって難しい。
できる人は悩まずできるのだと思いますが。

その解決の1つに、こちら⇩


一時期流行ってたかな?
わたしと同じように悩む誰かへ。
きっかけのひとつにどうぞ。

迷惑メールに振り分けられることがあるみたいです。要チェック!


そして春、わたしは違う中学校へ異動が決まりました。地獄のような多忙な日々とも、A先生とも同期Bや先輩とも、一年でおさらばでした。解放された気分でした。

たくさん傷つきましたが、成長もあったかなと、最後は少し思えました。

A先生からは、「あなたは春の頃は役立たずだったので潰そうと思えば潰せた」と言われましたが、それも笑って聞けるくらいにはなってました。慣れかもしれませんが。

次の配属先でうまくいかなければ辞めようと、そんな思いでした。


結論から言うと、いろいろありながらも初任より恵まれた職場でなんとか過ごし、そこで三年目、つまり教員の四年目をむかえています。

不眠になるのは四年目の夏でした。

また、辛い環境をなんとか乗り越えられたのには、同じ職場の初任で配属された男性、同期Bの支えがありました。

A先生の暴挙もよく理解してくれて、夏になる前に付き合うようになりました。しかし、なんと冬には同じ職場の先輩と浮気が発覚。

これでまた、わたしは支えがなくなり、人間不信に陥りました。実はこの時が一番、消えたいと願っていたかもしれません。食欲が激減し、体重は5キロほど落ちました。職場や職場の飲み会に行って、仲よさげな彼や先輩を見ることが、A先生を上回る地獄でした。

このときはさすがに親や友達に話をたくさん聞いてもらいました。また、冬になるころにはだいぶ仕事を覚えてきていたので、A先生のいびりも減り、仕事にうちこむことで、なんとか気を紛らわせていました。

実際体験するとだいぶ辛いです。もう無理かと思いました。でもいまは食欲もあります。人間には回復力があるんですね。

A先生とのダブルパンチで、わたしはこの頃、車を持っていませんでした。この街では社会人に車は必須。車なら片道15分で通えるところを、わたしはバスと電車で片道1時間かけて通勤していました。始発に乗って終バスで帰る日々。終バスが早く21時30分だったため、朝は5時30分に家を出てできることをこなしていました。

5時30分に出ても、学校につくのは6時30分。終バスに乗り21時30分に出ても帰宅は22時30分。仕事は終わらないので土日も出勤。

A先生は仕事が終わっていないのに終バスで帰るわたしが気にくわなかったようです。「もう帰るの?」と言われながら帰っていました。「送るから」と言われて23時すぎまでいる日もありましたが…


けれど、A先生にひどくあたられていながらも、わたしは昔からの夢を叶えてようやくついた職業だったので、なんとか食らいついていくことで必死でした。認めてもらおう、そのために一歩でも先回りしよう、と考えていました。

今思っても、なぜこの時に鬱にならなかったのだろうと思います。絶望的な環境ながら、ぐっすり眠っていました。

ただ、咳は止まらなくなりました(笑)。夏から秋までずっと。小児気管支炎があり、気管支が弱かったので、ストレスがそこにでたのかなと思っています。

それからこの一年間で年休は0日でした。死ぬほど働いてた。母には「あんたはあの一年で10年分働いたね」と言われます。

教員の過労の現状は危険です。もっと教員の世界も働きかた改革されますように!


ベテランのA先生は、新人いびりが激しい先生でした。とにかく口も悪ければ、はっきり言っていじわるでした。仕事を教えてもらった記憶は少ないです。「失敗したほうが記憶に残る」と言って、聞いても答えてもらえないことが多かったです。

そんな調子なのに、「あなたが一人前にならなかったら辞表を出す」と言われたこともありました。

また、仕事を見せてもらいたくても先生は2人でいようとせず、職員室は二階で保健室は一階だったことから「あなたが職員室にいた方がみんながうれしいから、わたしは保健室にいるわね」と嫌味を言われ、1人職員室に残されました。逆に保健室に1人の時もありました。

あとは例えば学歴。先生は専門学校の出身で、国立大の出身のわたしが気にくわないのか、「大学では何を教えてもらってきたの?」、「それでわたしは何を教えればいいの?」、「わたしは大学の先生じゃないから止まって1つ1つ教えたりしないからね」と言われたりしました。

それからやんちゃな生徒。わたしの名前を保健室の扉のあたりで呼ぶ子がいると、「ヤンキーのアイドルになったら?」とか、「外で話して」と言って外に出されバタンと扉を閉められることもありました。

まだまだあります。挙げるとキリがない。
嫌すぎて記憶から消えている部分もあります。
人間、嫌なことって忘れるようにできてます。だから生きていけるのかもしれません。



わたしは四年前、地元からはるか遠く離れた街で、運よくストレートで合格し、正規採用で中学校の養護教諭になりました。保健室の先生です。

一人暮らしの社会人。なかなか大変そうですが、大学から一人暮らしだったので、生活に戸惑いはありませんでした。

職場は900人近い大規模校で、養護教諭は複数配置。つまり2人でした。もう1人の方はベテランの女性でA先生(仮名)で、事前に打ち合わせに行くと、そのまま一緒にランチをするなど、気さくで優しい方にみえました。その日までは。

知られているかわかりませんが、大規模ほど養護教諭は多忙です。処理量が膨大だからです。「でもそのための複数配置だから2人いるから楽でしょ?」と思いますよね。

現実は違いました。



こんにちは。
そして今日は仕事を休みました。

わたしの場合、仕事を休職はしていません。
9月くらいから鬱とは言われていますが。

ときどき頭がいっぱいになって寝れなくなったり、疲れ切って涙が止まらなくなったりします。眠りにつきやすくする薬や、頭痛薬を飲んでも体調が持ち直せない時に、1日休みます。
いまのところ3ヶ月に一度くらい。

次の日からはまた仕事へ戻れます。

もちろん1日でやる気が戻るわけではないです。
すっきり元気になるわけないし。
気持ちはさておき、体が労働できる状態になるから行くって感じです。

生きるためにお金は必要です。働こうという意思はあります。

初任の頃は、罪悪感や周りの視線が怖くて休むことなんか考えられませんでした。その時のメンタルヘルスは最悪でした。その話はまた書きます。

今は休まなきゃそれどころじゃないです。
わたしの場合は、とりあえず今このペースが自分を保てるみたいだな、と、あんまり考えずに捉えています。

なので今日はゆっくり休みます。
おやすみなさい。


こんにちは。
私は教員4年目の社会人です。
思うことをつらつら書こうと思います。

結論から言うと、不眠症があり、病院では軽い鬱病と言われています。

このブログでは、わたしが日々感じたこと、今までの経緯など、あとは時々趣味の話などして、文字にしていきたいです。

飽き性なので続かないかもですが。
そんなくらいで書きます。
よろしくお願いします。