A先生とのダブルパンチで、わたしはこの頃、車を持っていませんでした。この街では社会人に車は必須。車なら片道15分で通えるところを、わたしはバスと電車で片道1時間かけて通勤していました。始発に乗って終バスで帰る日々。終バスが早く21時30分だったため、朝は5時30分に家を出てできることをこなしていました。
5時30分に出ても、学校につくのは6時30分。終バスに乗り21時30分に出ても帰宅は22時30分。仕事は終わらないので土日も出勤。
A先生は仕事が終わっていないのに終バスで帰るわたしが気にくわなかったようです。「もう帰るの?」と言われながら帰っていました。「送るから」と言われて23時すぎまでいる日もありましたが…
けれど、A先生にひどくあたられていながらも、わたしは昔からの夢を叶えてようやくついた職業だったので、なんとか食らいついていくことで必死でした。認めてもらおう、そのために一歩でも先回りしよう、と考えていました。
今思っても、なぜこの時に鬱にならなかったのだろうと思います。絶望的な環境ながら、ぐっすり眠っていました。
ただ、咳は止まらなくなりました(笑)。夏から秋までずっと。小児気管支炎があり、気管支が弱かったので、ストレスがそこにでたのかなと思っています。
それからこの一年間で年休は0日でした。死ぬほど働いてた。母には「あんたはあの一年で10年分働いたね」と言われます。
教員の過労の現状は危険です。もっと教員の世界も働きかた改革されますように!