普段生きていくことがこれほどスリルに満ちている。

今日はこのような生活の実践者でもあるdrivershighさんにインタビューを行いました。

普段から「いかにその日を生活していくか」で精一杯という彼の想いはどのようなものなのでしょうか。その一部始終をお送りいたします。


drivershighさんにとって今日、4月24日は特別普通な日だったとのことですが

「そうですね。今日は特に本当に普通でしたね。」


具体的にどのように普通だったかを教えてもらってもいいですか?

「はい、まず起きた後ジョギング。これは昨日から始めました。」


その後、ご飯を食べたんですか?

「朝はいつもきちんと食べています。それからサークル関連の引継ぎの用事をこなして、9時半ごろに家を出ましたね。」


そして大学へと向かう彼。しかし、そんな彼には今日、非常に重大な用事があったとのことです。

「はい。履修登録をしなければならなかったのです。私にとって大学に行く機会があまりないので、今日の履修登録は非常に重要でした。無事に終わってほっとしました。ちょっとでもミスをしていると履修がエラーになってしまいますからね。」


履修登録が予想外に速く済んだとのことでしたが、あいた時間はどうしたのですか?

「TSUTAYAに行きましたね。コブクロの蕾が目当てでしたが、「五枚1000円」キャンペーンにひかれてついいろいろと借りてしまいました笑」


その後授業を二つ受けた彼は、先輩と焼肉を食べに行ったとのことですが、主に何がおいしかったですか?

「ピートロですね、あの味わいは絶品でした。」


その後帰宅します。ですが彼は、そこで本日最大ともいえる転機を迎えたとのことです。

「そうですね。あの経験はなかなか出来ないでしょうね。」


いったい何があったのですか?

「電車が三鷹に止まったのです。そこで、中央特別快速の待ち合わせがあったんですね。これにはあせりました笑なぜなら、そのとき私は座っていたからです。三鷹から座れないと、最大30分はたちっぱなしです。そのリスクを負ってでも数分早く帰るか、あるいはそのまま座って通過を待つか・・・人生最大の選択でした。」


結局どうしたのですか?

「座り続けました。やはり立ちっぱなしはつらかったもので」


そして帰宅ですね。今日一日を振り返ってどうですか?

「非常に充実していました。ある意味、ほんとに普通でしたね。」


最後に一言

「これが私の人生です」



光市の死刑判決、自衛官の殺人、集団自殺の増加。正直、なんでかわかりません。

人生は光に満ちてるなんていいませんが、生きるのがそんなに苦痛なのか。


「人を殺して死刑になりたかった」


死ぬことが殺すことがその人における最大の見せ場だったのだろうか。

人生を輝かせる方法なんていくらでもあるはずなのに。

生きたいと願う人がどんなに多いことか。


わからないって嫌な言葉。


「どうせあなたにはわからない」


わからないとは理解を拒む言葉。

それでいて、理解できないことを責める言葉。


投げられたほうはどうすれば良いのか。

その出口すら言わず、なぜ死に行くのだろうか。。


生きている人間からすれば、それでも、「理解」しようとするより他ないのかな、と。

新聞記事をスクラップしながら、思うのです。明日も普通な人生を送ろう。

考えることは辞めずに。それが、今の私に出来る最低限のこと。

動くこと。それが、今の私に出来る最大限のこと。